べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

家族ってどうして苦しいの?(2)|書くことが気持ちを伝える

2017年03月10日 | 保護者からご相談
>試し行動でしか自分の要求を"表現できない"ことが問題なのです

>この場合、受け止めてくれる愛情が確認できるまで形を変えて続きます。実際に愛情があるかどうかではなく、確認できるまでというのが厄介です。多くの「子ども」が相手に合わせることを覚えようとしません。赤ん坊のまま愛情を与えられることが当たり前になっていて、自分も誰かに返さなければならないことに目をつぶります。無条件に何でも許してくれる居心地の良い相手がいればなおさらです。こうして外で抑え込んでいる欲求が、甘えられる相手に向かって大爆発することになります。親御さんにとっては何度伝えても伝わらないとなれば悲しくなりますし、感情的に怒ってしまえば自己嫌悪や罪悪感に心も揺れます。そこに子どもが揺さぶりをかけてくる。親としての在り方が試される瞬間です

>あなたが「自分が至らないから」と受け続けても、試し行動がおさまることはありません。子どもにとっても「悪いとわかっていることがやめられない」状況を続けることになります。罪悪感は持っていますから思いついたように優しくもなりますが、居心地が良い場所を手放そうとはしません。共に良いことはないわけです

>家族のトラブルは多くが「玉突き」です。連鎖しています。理由は一つではありません

家族ってどうして苦しいの?(1)|書くことが気持ちを伝える


前回の追記です

外ヅラだけ整えた父親それに無条件に従うことを良しとした母親と

その子どもの架空の話です

子どもはいまになってなんであんなの真に受けてたんだろうと強く後悔しています


幼児の試し行動、なんでも受け入れれば良いわけではありません。危険が及ぶようなイタズラは止めなきゃいけませんね。危険を知らない幼児さんは平気でやらかします。やってしまってからでは手遅れです。中高生も止めなきゃならないときがあります。社会からしっぺ返しをくらうようなことは周りが止めてあげなきゃわかりません。体力が溢れ失敗経験が乏しいためやりすぎるからです。ヒトは経験からしか身に付かないことがあります。相手が嫌がるからと避けていてはならない役割が大人にはあります


経験を避けてきたひとは、大人になってもやっぱりわかりません

あなたが受け止めてあげる役割であったとして、外に対しそのことを隠し、耐えることでそれが止まる可能性はたいへん薄い。家族のなかの「暴君」はたいてい見当違いに一生懸命です。悪人ではないと思いますよ。優しいところもあるのでしょう。でも、大人になるまで経験を避け続けてきたひとが自然に変わる可能性はありません。もしエスカレートして家族が苦しんでいるのなら、期待だけして待っていても仕方ありません

どこまで許すかはあなた次第です

止めることも許すことも、思いつきではなく、できる限り書き出しましょう

気持ちも書き出しましょう。書いて誰かに見せましょう

書くことで表現が変わります、状況も変わります


忘れないで。ゴールは家族が幸せに生きることです

あなたが「正しい」かどうかじゃありません(藤田)


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