あるお母さまからの相談事例。お子さんが、うまく感情を表現できず感情を爆発させるとのこと。思春期に入って特に激しくなったそうです
お母さまから見て「異様に」感じ心配なのでしょう。「わたしのときそんなことはなかった」から。でも塾講師の立場で見るとありふれた話です。毎年数件は同様の相談を受けます。このこと自体よのなかにありふれています。小学校高学年や中学校の先生方にも最もありふれた相談だそうです。ただし、男性と女性の感じ方や時代背景の違いそれに子どものおかれる環境の変化も決して小さくありませんし、お母さまが不安になるのも無理はない。何かしら解決策を提示したいですね
まず、そのすべてが親御さんの責任でないことは断言出来ます。あまり深刻にならないよう心がけてみましょうよ。あなたのせいじゃない。同時に誰かのせいでもありません。理由はありますから、手もあります。手はありますとも
【新聞読み】子供の心、深い傷…乱暴な言葉、だから、赤ちゃん返りも
ヒトは不安に晒(さら)されていると「試し行動」が現れることがあります。その具体的な表現は様々ですが、必要もないのにわざと相手を困らせる行動をすることを言います
あなたの顔を見ながらアピールするように怒られそうなことをやらかす、心当たりありませんか?
物を投げる、泣き叫ぶ、かみつく、直前に叱られたことを繰り返す。二歳ぐらいから始まります。これがない子はいません。腕力もなく笑えるような小さなイタズラばかりでしたから気にならなかっただけで
試し行動はどの子にも(大人にも)必ず起こります。育て方のせいではありません
試し行動は、自分をどの程度まで受け止めてくれるか探るためになされます。愛されたい、甘えたいからやってるんですね。だから、家庭内で、甘えたい相手に対して激しくなります。関心がない相手にやっても意味はない。あなたを困らせているお子さんも、外では温厚な「良い子」で通ってることだって少なくないのです。あなたが感じてる不安の根源はそこではありません
甘えることは悪いことでしょうか。実のところ、いい大人でも多くの男性がお家では甘えんぼさんです。亭主関白とか身の回りのことはなにもしないとか、心当たりあるでしょ。他人に見られたら、本人だって恥ずかしくなるようなこと平気でやってますよね。これは程度や状況次第です。必要なぶん稼いでくるとか家族の支柱となってるとか、一定の役割を果たしているなら大目に見ても構わないはず(お願いしますよ)。甘えること、試し行動が現れること自体は問題じゃありません
試し行動でしか自分の要求を"表現できない"ことが問題なのです
この場合、受け止めてくれる愛情が確認できるまで形を変えて続きます。実際に愛情があるかどうかではなく、確認できるまでというのが厄介です。多くの「子ども」が相手に合わせることを覚えようとしません。赤ん坊のまま愛情を与えられることが当たり前になっていて、自分も誰かに返さなければならないことに目をつぶります。無条件に何でも許してくれる居心地の良い相手がいればなおさらです。こうして外で抑え込んでいる欲求が、甘えられる相手に向かって大爆発することになります。親御さんにとっては何度伝えても伝わらないとなれば悲しくなりますし、感情的に怒ってしまえば自己嫌悪や罪悪感に心も揺れます。そこに子どもが揺さぶりをかけてくる。親としての在り方が試される瞬間です
あなたが「自分が至らないから」と受け続けても、試し行動がおさまることはありません。子どもにとっても「悪いとわかっていることがやめられない」状況を続けることになります。罪悪感は持っていますから思いついたように優しくもなりますが、居心地が良い場所を手放そうとはしません。共に良いことはないわけです
家族のトラブルは多くが「玉突き」です。連鎖しています。理由は一つではありません
どこのお家でも起こりうることです。問題は、これが常態化して、弱い立場の相手にぶつけ続けることです。受け続けたひとが、より弱い立場に転嫁をすれば目も当てられない。さらに、家庭内の「恥ずかしいこと」ですから、やる側もされる側も外に隠しがちでエスカレートしていきます。家族間のトラブルの多くはこれだと思っています。子どもだけに起こるとも限りません。もしかしたら家族のなかの「子ども」は一人だけじゃないのかもしれませんよ。家族全体の状況を見直す必要があるのだと思います
責任や原因の追求はとりあえず脇におきましょう
家族のなかで突き詰めることはオススメしません。少なくとも人間関係においては、「適当」がちょうど良いからです。カンペキな人間なんているもんですか。子どもの成長をひとりで支えられる親もいません。あなたを苦しめているのは、「誰かに責任がある」という思い込みがあなたに返ってきているのかもしれませんよ。過剰な理想が「お前がこうだからこれは正当化されるんだ」とあなたのちょっとしたミスをつついてきますが、適当に流しましょう。その上で、変えやすいところから変えてみましょう。最も変えやすいのは、あなたの視点と在り方を変えることです
外へセカイを広げましょう。子どももあなたも家族にも
試し行動のポイントは、悪いとわかっていることを、あえてするところにあります。外でこれをやればただの嫌われ者にしかなりません。外の視点がそれに気付かせてくれます。あなたや家族がお子さんを抱え込んでしまえばその機会は得られませんよ。小学高学年から中学生ぐらい、この時期の子どもにとって外のセカイはとても大切です。親のコントロールが効かない外のセカイは不安でしょう。でも、ちょっと気にしてるぐらいで、干渉しすぎない方が良いと思います。干渉を嫌い子どもが隠すようになったら、様子をうかがうことすら出来なくなりますから。子どもたちが外のセカイを持つことは寂しいことではありません。我が子がそこまで成長したということなのですから
「書き出すこと」を強く勧めます
日記・手紙・連絡帳…携帯メールも気軽で良いですね。外部の誰かに見せるつもりで書くことです。実際に外部の助けを借りるときも役に立ちます。実際、忙しくて余裕がなかったり一人でなんでもやろうとするとうまくいきません。感情的に叱りすぎたり、日によって叱る基準が違ったり、行動ではなく人格を怒ってしまったり…わかっているんですけどね。失敗することが悪いんじゃありません。「わかってくれるだろう」と放置し繰り返すことが 相手を不安にさせます。その後、どう変えていくのか見えるようにしておくことが必要なんです。家族がそれぞれ書き出すことで、それぞれが気持ちを冷静に見つめ直せます。最初はあなたが書き始めるだけでも構いません
思い出してください。試し行動はそれでしか自分の要求を"表現出来ない"ことが問題なのでした。家族にとっての表現とは上手い作文を書くことじゃありません。少し距離をとって必要なことを伝えるやり取りの手段です。あなたにお子さんに家族に足りていなかったことかもしれませんね。それに気付いたことは喜ぶべきこと。感情をただ投げ合うだけの段階を卒業できるのですから
最後にわたしの主観です。こういったお悩みをお持ちになるのは、真面目で責任感が強く一人でなんとかしようとされる親御さんが多い気がします。「家のなかのトラブルは外に出したら親失格だ」「家庭のことはわたしがなんとかしなきゃ」「ダンナは避けたがるから一人でガマンしないと」…
それホントですか?
わたしはそうは思いません。ゴールは子どもの成長です。子どもの成長とは独り立ちですから、家庭内で完結出来る道理がない。生活面はともかく、一人の人間の成長すべてを抱え込むなんてできやしませんよ。もし出来るとしたらそれは成長を押さえ込んでいるだけなんです
家族だけで抱え込まないでください。遠慮なく外部の助けを借りましょう。昔から子どもは共同体のなかで成長してきました。我が子を知る周りの人たち…親族・友人・カウンセラー・学校の先生・わたしたち塾講師も助けになります。外部に投げ出し委(ゆだ)ねてしまえと言っているわけじゃありません。別の視点が持ち込まれれば、それだけで家族を苦しめている思い込みから解放されるでしょう
「これでも良かったんだ」
そうなったとき、子どもたちの成長という本来の目的に取り組むことができるようになりますよ
続きます。(藤田)
役割に従え2
お母さまから見て「異様に」感じ心配なのでしょう。「わたしのときそんなことはなかった」から。でも塾講師の立場で見るとありふれた話です。毎年数件は同様の相談を受けます。このこと自体よのなかにありふれています。小学校高学年や中学校の先生方にも最もありふれた相談だそうです。ただし、男性と女性の感じ方や時代背景の違いそれに子どものおかれる環境の変化も決して小さくありませんし、お母さまが不安になるのも無理はない。何かしら解決策を提示したいですね
まず、そのすべてが親御さんの責任でないことは断言出来ます。あまり深刻にならないよう心がけてみましょうよ。あなたのせいじゃない。同時に誰かのせいでもありません。理由はありますから、手もあります。手はありますとも
【新聞読み】子供の心、深い傷…乱暴な言葉、だから、赤ちゃん返りも
ヒトは不安に晒(さら)されていると「試し行動」が現れることがあります。その具体的な表現は様々ですが、必要もないのにわざと相手を困らせる行動をすることを言います
あなたの顔を見ながらアピールするように怒られそうなことをやらかす、心当たりありませんか?
物を投げる、泣き叫ぶ、かみつく、直前に叱られたことを繰り返す。二歳ぐらいから始まります。これがない子はいません。腕力もなく笑えるような小さなイタズラばかりでしたから気にならなかっただけで
試し行動はどの子にも(大人にも)必ず起こります。育て方のせいではありません
試し行動は、自分をどの程度まで受け止めてくれるか探るためになされます。愛されたい、甘えたいからやってるんですね。だから、家庭内で、甘えたい相手に対して激しくなります。関心がない相手にやっても意味はない。あなたを困らせているお子さんも、外では温厚な「良い子」で通ってることだって少なくないのです。あなたが感じてる不安の根源はそこではありません
甘えることは悪いことでしょうか。実のところ、いい大人でも多くの男性がお家では甘えんぼさんです。亭主関白とか身の回りのことはなにもしないとか、心当たりあるでしょ。他人に見られたら、本人だって恥ずかしくなるようなこと平気でやってますよね。これは程度や状況次第です。必要なぶん稼いでくるとか家族の支柱となってるとか、一定の役割を果たしているなら大目に見ても構わないはず(お願いしますよ)。甘えること、試し行動が現れること自体は問題じゃありません
試し行動でしか自分の要求を"表現できない"ことが問題なのです
この場合、受け止めてくれる愛情が確認できるまで形を変えて続きます。実際に愛情があるかどうかではなく、確認できるまでというのが厄介です。多くの「子ども」が相手に合わせることを覚えようとしません。赤ん坊のまま愛情を与えられることが当たり前になっていて、自分も誰かに返さなければならないことに目をつぶります。無条件に何でも許してくれる居心地の良い相手がいればなおさらです。こうして外で抑え込んでいる欲求が、甘えられる相手に向かって大爆発することになります。親御さんにとっては何度伝えても伝わらないとなれば悲しくなりますし、感情的に怒ってしまえば自己嫌悪や罪悪感に心も揺れます。そこに子どもが揺さぶりをかけてくる。親としての在り方が試される瞬間です
あなたが「自分が至らないから」と受け続けても、試し行動がおさまることはありません。子どもにとっても「悪いとわかっていることがやめられない」状況を続けることになります。罪悪感は持っていますから思いついたように優しくもなりますが、居心地が良い場所を手放そうとはしません。共に良いことはないわけです
家族のトラブルは多くが「玉突き」です。連鎖しています。理由は一つではありません
どこのお家でも起こりうることです。問題は、これが常態化して、弱い立場の相手にぶつけ続けることです。受け続けたひとが、より弱い立場に転嫁をすれば目も当てられない。さらに、家庭内の「恥ずかしいこと」ですから、やる側もされる側も外に隠しがちでエスカレートしていきます。家族間のトラブルの多くはこれだと思っています。子どもだけに起こるとも限りません。もしかしたら家族のなかの「子ども」は一人だけじゃないのかもしれませんよ。家族全体の状況を見直す必要があるのだと思います
責任や原因の追求はとりあえず脇におきましょう
家族のなかで突き詰めることはオススメしません。少なくとも人間関係においては、「適当」がちょうど良いからです。カンペキな人間なんているもんですか。子どもの成長をひとりで支えられる親もいません。あなたを苦しめているのは、「誰かに責任がある」という思い込みがあなたに返ってきているのかもしれませんよ。過剰な理想が「お前がこうだからこれは正当化されるんだ」とあなたのちょっとしたミスをつついてきますが、適当に流しましょう。その上で、変えやすいところから変えてみましょう。最も変えやすいのは、あなたの視点と在り方を変えることです
外へセカイを広げましょう。子どももあなたも家族にも
試し行動のポイントは、悪いとわかっていることを、あえてするところにあります。外でこれをやればただの嫌われ者にしかなりません。外の視点がそれに気付かせてくれます。あなたや家族がお子さんを抱え込んでしまえばその機会は得られませんよ。小学高学年から中学生ぐらい、この時期の子どもにとって外のセカイはとても大切です。親のコントロールが効かない外のセカイは不安でしょう。でも、ちょっと気にしてるぐらいで、干渉しすぎない方が良いと思います。干渉を嫌い子どもが隠すようになったら、様子をうかがうことすら出来なくなりますから。子どもたちが外のセカイを持つことは寂しいことではありません。我が子がそこまで成長したということなのですから
「書き出すこと」を強く勧めます
日記・手紙・連絡帳…携帯メールも気軽で良いですね。外部の誰かに見せるつもりで書くことです。実際に外部の助けを借りるときも役に立ちます。実際、忙しくて余裕がなかったり一人でなんでもやろうとするとうまくいきません。感情的に叱りすぎたり、日によって叱る基準が違ったり、行動ではなく人格を怒ってしまったり…わかっているんですけどね。失敗することが悪いんじゃありません。「わかってくれるだろう」と放置し繰り返すことが 相手を不安にさせます。その後、どう変えていくのか見えるようにしておくことが必要なんです。家族がそれぞれ書き出すことで、それぞれが気持ちを冷静に見つめ直せます。最初はあなたが書き始めるだけでも構いません
思い出してください。試し行動はそれでしか自分の要求を"表現出来ない"ことが問題なのでした。家族にとっての表現とは上手い作文を書くことじゃありません。少し距離をとって必要なことを伝えるやり取りの手段です。あなたにお子さんに家族に足りていなかったことかもしれませんね。それに気付いたことは喜ぶべきこと。感情をただ投げ合うだけの段階を卒業できるのですから
最後にわたしの主観です。こういったお悩みをお持ちになるのは、真面目で責任感が強く一人でなんとかしようとされる親御さんが多い気がします。「家のなかのトラブルは外に出したら親失格だ」「家庭のことはわたしがなんとかしなきゃ」「ダンナは避けたがるから一人でガマンしないと」…
それホントですか?
わたしはそうは思いません。ゴールは子どもの成長です。子どもの成長とは独り立ちですから、家庭内で完結出来る道理がない。生活面はともかく、一人の人間の成長すべてを抱え込むなんてできやしませんよ。もし出来るとしたらそれは成長を押さえ込んでいるだけなんです
家族だけで抱え込まないでください。遠慮なく外部の助けを借りましょう。昔から子どもは共同体のなかで成長してきました。我が子を知る周りの人たち…親族・友人・カウンセラー・学校の先生・わたしたち塾講師も助けになります。外部に投げ出し委(ゆだ)ねてしまえと言っているわけじゃありません。別の視点が持ち込まれれば、それだけで家族を苦しめている思い込みから解放されるでしょう
「これでも良かったんだ」
そうなったとき、子どもたちの成長という本来の目的に取り組むことができるようになりますよ
続きます。(藤田)
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