確か。。。
小学校1年か2年の頃だったと思う。
同じクラスに居た女の子が、歌ってた歌。
歌の内容があまりにも衝撃的だったことと、
メロディの物悲しさで、おぼろげながらも覚えてた。
特に、
『あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの』
のフレーズが、忘れられなかった。。。
死んだ女の子
作詞:ナーズム・ヒクメット
作曲:木下航二
訳詞:飯塚 広
扉をたたくのはあたし あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの
十年前の夏の朝 私は広島で死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの
あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり
風で遠くへ飛び散った
あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない
扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい
世界中の子ども達が、戦火に怯えることなく、
笑って過ごせるように、祈ります。。。
平和を祈ります。。。
小学校1年か2年の頃だったと思う。
同じクラスに居た女の子が、歌ってた歌。
歌の内容があまりにも衝撃的だったことと、
メロディの物悲しさで、おぼろげながらも覚えてた。
特に、
『あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの』
のフレーズが、忘れられなかった。。。
死んだ女の子
作詞:ナーズム・ヒクメット
作曲:木下航二
訳詞:飯塚 広
扉をたたくのはあたし あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの
十年前の夏の朝 私は広島で死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの
あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり
風で遠くへ飛び散った
あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない
扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい
世界中の子ども達が、戦火に怯えることなく、
笑って過ごせるように、祈ります。。。
平和を祈ります。。。
でもこの詩の作者、日本人やないなー、どこの国の人?
って調べたら、ギリシャの出身なんですね。
僕は正直、外国人には「ヒバクシャ」のことが観念的に理解されない、と決めつけていましたが、
ここまで深い理解を示す人もいたんですね。
この歌、1960年代には作られていたらしく、反戦歌として歌われていたようです。
記事中の「死んだ女の子」のタイトルをクリックしてもらえると、曲が聴けるサイトに飛びます。
聞いてみてください。m(_)m
蛇足ですが、数年前から元ちとせさんが、同じタイトルで歌っているようです。
今日の朝○新聞朝刊「ひと」の欄でも紹介されていました。
聞いてみたけど、歌詞もさることながら、全く別の曲のように感じます。
>深い理解を示す人もいたんですね。
うん。
逆に言えば、被爆国日本…日本人でありながらも、戦争や被爆者の苦しみを理解できない人が多く居ることも事実…だよね。
平和で過ごせることの有難さ、感じていたいね。
湾岸戦争の様子をテレビのニュースで見た時に、恐怖と同時に嫌悪を感じました。
人の命…を考えているとは言い難い映像。
隣の人に少しの愛を向けるだけでも、こういうことは減っていくんじゃないか…と感じます。
被爆国日本…忘れてはならない事実です。
伯父は原爆投下されたまさにその時、広島市内にいましたが、鉄筋コンクリートに囲まれた窓のないトイレの中にいたため、直接の閃光や爆風を免れ、今も生きています。
でももちろん被爆者手帳は持っています。
長男が得体の知れない爆弾によって死んだかもしれないと思った祖父は、原爆投下まもない市内に入って気が狂ったように探したようです。投下時にその場にいなくても大量の放射能をあびて、祖父も被爆してるんですね。
祖父は私が幼い頃になくなりました。
父の親戚にいたってはちょうど爆心地近くにいたためあとかたもなく消えてるんです。人の存在そのものを消す爆弾なんて・・・。
あの時よりずっと今の核兵器は威力が強大です。
65年たって、被爆者がどんどん減ってそのなまなましい記憶の伝い手がいなくなり、風化されていくのをとめられないのが、何ともはがゆいと感じます。
一瞬にして、人も建物も消えてしまうほどの威力…って、想像することが出来ません。
人間って、偉大でもあり愚かでもありますね。
全て、人間が作り出したものです。
こんな悲しい出来事を繰り返さない為にも、私たちに出来ることから始めていきたいですね。