5月の連休明けからだったか…。
古い家を取り壊して、建て直している家がある。
間もなく完成だろう。
大きな家だ。
そう言えば連れ合いの息子の家も、徐々に建っていることだろう。
完成しつつある他所(よそ)の家を洗濯物を干しながら眺めて、複雑な想いに駆られる。
団地で育った私は、一戸建てに住むのが夢だった。
結婚して住んだ一戸建ては、寂しいくらいに大きすぎるモノだった。
まぁ、田舎の家はそんなモノだろう。
ひょんなことでその家を出ることとなり、その家もまた他所様のものになろうとしている。
来月、私の祖父の十三回忌の法要がある。
併せて祖母の二十五年、父の三十三年法要をする。
母は今年で六十九歳。
自分が元気で動ける間に、済ませてしまいたいようだ。
祖父母には子どもが一人いた。
その子どもが、二十歳を過ぎた頃に肺炎で亡くなった(らしい)。
家が絶えてはいけないからと、母は大叔母に当たる祖父母の処へ養女に入り、父と結婚した。
弟夫婦には子どもが居ない。
結局、絶えることになるのだ。
我が家、連れ合いの息子が家を建てている。
吉野の家は他所様のものになる。
墓は…?
そう言えば、息子のお嫁さんのお母さんが言ったよなぁ…。
『Hiromiちゃん、お墓はもう倒してしまってね。』
ん?なんでアンタに言われなきゃならないの?
お嫁さんのお母さんが言うにはこうだ。
息子が家を建てる
↓
吉野には帰らない
↓
お墓を世話する人がいない
↓
倒してくれた方がスッキリする
…ということ。
実家の母も、墓を移すことを考えている。
移すというよりも、やはり倒すことを考えている。
今、色んな供養の仕方がある。
私自身のことも含めて、墓の在り方を考える。
家・墓・仏壇。。。“継ぐ”ということを、他所様の家の完成を眺めながら、色々と思い交錯する毎日だ。
古い家を取り壊して、建て直している家がある。
間もなく完成だろう。
大きな家だ。
そう言えば連れ合いの息子の家も、徐々に建っていることだろう。
完成しつつある他所(よそ)の家を洗濯物を干しながら眺めて、複雑な想いに駆られる。
団地で育った私は、一戸建てに住むのが夢だった。
結婚して住んだ一戸建ては、寂しいくらいに大きすぎるモノだった。
まぁ、田舎の家はそんなモノだろう。
ひょんなことでその家を出ることとなり、その家もまた他所様のものになろうとしている。
来月、私の祖父の十三回忌の法要がある。
併せて祖母の二十五年、父の三十三年法要をする。
母は今年で六十九歳。
自分が元気で動ける間に、済ませてしまいたいようだ。
祖父母には子どもが一人いた。
その子どもが、二十歳を過ぎた頃に肺炎で亡くなった(らしい)。
家が絶えてはいけないからと、母は大叔母に当たる祖父母の処へ養女に入り、父と結婚した。
弟夫婦には子どもが居ない。
結局、絶えることになるのだ。
我が家、連れ合いの息子が家を建てている。
吉野の家は他所様のものになる。
墓は…?
そう言えば、息子のお嫁さんのお母さんが言ったよなぁ…。
『Hiromiちゃん、お墓はもう倒してしまってね。』
ん?なんでアンタに言われなきゃならないの?
お嫁さんのお母さんが言うにはこうだ。
息子が家を建てる
↓
吉野には帰らない
↓
お墓を世話する人がいない
↓
倒してくれた方がスッキリする
…ということ。
実家の母も、墓を移すことを考えている。
移すというよりも、やはり倒すことを考えている。
今、色んな供養の仕方がある。
私自身のことも含めて、墓の在り方を考える。
家・墓・仏壇。。。“継ぐ”ということを、他所様の家の完成を眺めながら、色々と思い交錯する毎日だ。
父は女兄弟のなかの唯一の男子
姉たちは幼くしてなくなって、妹である叔母も子どもが無い
父の子ども(わたしと妹)も他家に嫁ぎ。。。
家は終わってしまいます。
京都にあるお墓のことを考えなければいけないときがきているなぁ~
親戚からの入り婿入り嫁で復活したものの、私たちに子供が授からなかったせいで
また夫の代で絶えることになります。
私の母の実家も、今存命の伯父伯母達が亡くなったら絶えますし。
私の兄のところも女の子2人ですからお嫁に行ってしまえば終わりということに。
こういう例はたくさんありますね。
「家制度」はこの先続いていくのは無理でしょうね。
供養の仕方は色々ありますものね。一番大切なのは「想い」だと考えています。
もしかしたら、考えなくてもいいことなのかもしれないけど、やっぱりお彼岸がきておはぎを作ったりすると、ご先祖さんのことも思ってしまう…。
ウチの裏の家も完成したし…。
のぶこさん♪
私たちの親よりも前の時代って、家制度が残っていたし、墓や家を継いで守っていく…ってことは、大事なことだったんでしょうね。
今も尚、田舎に行けばそんな風潮は強く残っているしね。
母の里も、小さな田舎。
そこで家が絶えるってことは、そこに住む人たちにとっては一大事。
そして連れ合いも田舎の人。
吉野の家がなくなり、墓を倒さなきゃいけないってことは、一大事でもあるのです。
私は亡くなった方々を思う気持ちさえあれば、形はどんなでもいいんじゃないかなぁ。。。と思うんだけどね。
簡単なことのようで、難しいことなんだろうね。
ポージィさん♪
ホント、“想い”が大切ですよね。
私もそう思います。
私には男の子がありますが、この子に墓守をしなさい…なんてことは言いたくはありません。
男であれ、女であれ、想う気持ちさえあればそれでいいことじゃないかと思うのです。
今度、法事をするに当たって、お寺の住職が言いました。
「跡取りさん(弟のこと)に子どもがいないということは、困ったことですね」って。
お寺もこんな固定観念は捨てて欲しいなぁ…と正直思いました。
やっぱ、檀家が減るのは、お寺にとっても死活問題だからかなぁ…なぁ~んて思ったのですが、不謹慎でしょうか?(^^;
皆さん、いろいろ考えておいでなのですね。
わたしん家は、極楽さんが買った山にキノコの形の石を石碑代わりに置いて、そこへ灰を少し入れて終わりっていうのはどうかな。って、思っています。
それを誰がやってくれるか・・・が、問題なのよね。
今年も、イモ茎を食べていますよ。
>それを誰がやってくれるか・・・が、問題なのよね
うんうん。。。そうよね。
誰がやってくれるか…?よね。
私はお墓はいらないから、木にして欲しいなと思ってる。
もう少しトシをとったら、そうして欲しいと手続きしようかな…って、考えてる。
でも死んでしまったら、どうなるのかなんてわかんないモンね。
残った人にお任せするしかないね。(^^;
芋茎、今年は手に入りませんでした。
ざ~んねん!(><)