私は自分のことが大嫌いだった。
今朝の朝刊で、不登校の親の気持ちを綴った宣伝広告を読んでいて、そのことを思い出した。
“借金→引越し→子どもの不登校→離婚の危機”を克服された母親の記事で、自分の考え方が変わって、子どもも家庭も変わってきたという内容だった。
~~~~~~~~~~~~~~~
「なんか面白いことないかなぁ~」これが私の口癖だった。
思うようにならないことがあると、すぐ何かの誰かのせいにした。
自分は決して悪くはないと・・・。
高校2年の時、学校に行くことの意味が分からなくなってよくサボった。
友達のことも信じられなくなっていた。
体重がどんどん減り、精神的にヘンになり、挙句の果ては身体がパンクして入院。
信じられないと思っていた友達がお見舞いに来てくれた。
その後何とか、サボらずに登校できるようになり卒業。
その次は短大の時。
家庭に不満のあった私は、当然学校に行っても面白いわけがなく、今で言うプチ家出を決行。
母は泣いてたっけ・・・。(^^ゞ
勤めに行っても面白くなく、職業病を患うことになる。
いつもいつも不満を持ち、それを出すことが出来ず、悪いことは他人のせいにした。
けれど他人には、私の苦しみは伝わることがなく、どんな時にも私は『明るくて楽しそう』と映っていたようだった。
自分のことは相変わらず、大嫌いだった。
他人の目を気にして、装うことに疲れていた。
それがいつだったか・・・
面白くないのは誰のせいでもなく、その原因は自分にあり、自分がそういう風にし向けているのだと気付いたのは。
ショックだった。
それまで生きてきた価値観が全て通用しないことを認識せざるを得なかった。
「考え方を変える」
一言で言うのはとても簡単だけど、永年培ってきたものは、そう簡単には変えることは出来ない。
苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで――。
主治医 のアドバイスが適切だった。
「ありがとう」と「ごめんね」
私はこの言葉に助けられて、今を生きているような気がする。
今一度、自分に「自分のことが好き?」と問うてみる。
『大好き☆』
自信を持ってそう言える。
私は自分のことが誰よりも好き。
そう言える幸せを感じている。
生きている意味さえ感じられなくなっている人が増えているようだ。
生きたいのに、不本意ながらその生を断たれてしまう人もいる。
この世に生を受けたことには、生きていることには意味がある。
もっと自分を大切に、自分を好きになって欲しい。
自分のことが大嫌いな私だったからこそ、そう言える。
今朝の朝刊で、不登校の親の気持ちを綴った宣伝広告を読んでいて、そのことを思い出した。
“借金→引越し→子どもの不登校→離婚の危機”を克服された母親の記事で、自分の考え方が変わって、子どもも家庭も変わってきたという内容だった。
~~~~~~~~~~~~~~~
「なんか面白いことないかなぁ~」これが私の口癖だった。
思うようにならないことがあると、すぐ何かの誰かのせいにした。
自分は決して悪くはないと・・・。
高校2年の時、学校に行くことの意味が分からなくなってよくサボった。
友達のことも信じられなくなっていた。
体重がどんどん減り、精神的にヘンになり、挙句の果ては身体がパンクして入院。
信じられないと思っていた友達がお見舞いに来てくれた。
その後何とか、サボらずに登校できるようになり卒業。
その次は短大の時。
家庭に不満のあった私は、当然学校に行っても面白いわけがなく、今で言うプチ家出を決行。
母は泣いてたっけ・・・。(^^ゞ
勤めに行っても面白くなく、職業病を患うことになる。
いつもいつも不満を持ち、それを出すことが出来ず、悪いことは他人のせいにした。
けれど他人には、私の苦しみは伝わることがなく、どんな時にも私は『明るくて楽しそう』と映っていたようだった。
自分のことは相変わらず、大嫌いだった。
他人の目を気にして、装うことに疲れていた。
それがいつだったか・・・
面白くないのは誰のせいでもなく、その原因は自分にあり、自分がそういう風にし向けているのだと気付いたのは。
ショックだった。
それまで生きてきた価値観が全て通用しないことを認識せざるを得なかった。
「考え方を変える」
一言で言うのはとても簡単だけど、永年培ってきたものは、そう簡単には変えることは出来ない。
苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで――。
主治医 のアドバイスが適切だった。
「ありがとう」と「ごめんね」
私はこの言葉に助けられて、今を生きているような気がする。
今一度、自分に「自分のことが好き?」と問うてみる。
『大好き☆』
自信を持ってそう言える。
私は自分のことが誰よりも好き。
そう言える幸せを感じている。
生きている意味さえ感じられなくなっている人が増えているようだ。
生きたいのに、不本意ながらその生を断たれてしまう人もいる。
この世に生を受けたことには、生きていることには意味がある。
もっと自分を大切に、自分を好きになって欲しい。
自分のことが大嫌いな私だったからこそ、そう言える。
私も本当にいい子でしたよ~。
いい子は疲れるよね。
辛かったね、苦しかったね、しんどかったよね。
自分のこと、好きになれてよかったね☆
そっかぁ~、自分の辛い記憶は消しちゃったのね。
また呼び戻してるんだ・・・。
戻ってきたら、優しく抱きしめてあげてね。
ごくろーさんって。
私のはね、いつも私の中にいるよ。
この子がいるから、今の私があると感じているからね。
きっと、ずーっと一緒にいるんだろうね。
また、会いたいねぇ~♪
ステキな言葉をありがとうございます。
我が子もまた、自分のことが好きでいて欲しいです。
自分が嫌いだなんて、悲しすぎますもんね。
ポージィさん♪
ポージィさんもご自身がお好きですか。
よかったです☆
>人間味の厚み
いやぁ~、そんなものはありませんよ~。
身体の厚み(脂肪?)は確かにたくさんありますが・・・。(笑)
自分のことが好きになれて、ホントによかったです。
ありがとう。
Michikusaさん♪
私もどちらかと言えば、色んな出来事を避けてきました。
大きなお釣りが来たのが、あの苦しかった出来事だと思います。
戦後の時代を家族と共に、必死で生きてこられたMichikusaさん達の世代は(ウチの母もそうですが)、好きだとか嫌いだとか考える暇もなかったのかもしれませんね。
そういう意味では、私などは別に必死で生きていなくてもいいし、暇だったからそんなことを考えていたのかもしれません。
けど、本当にあの時は辛くて苦しかった・・・それは事実です。
私は自分のことが好きになり、自分を大事にしたいと思った頃、子どもが欲しいと思いました。
不思議なものです。
「生命」・・・大切にしたいです。
震え上がっています。(^^ゞ
皆さん、お風邪を召されませんように・・・。
風民さん♪
>素晴らしい事
ありがとうございます。嬉しいことですよね。
風民さんもご自身がお好きのようで、よかった☆です。
自分を知ろうとすると、色んな発見があって面白いです。
おばさんFPさん♪
おばさんFPさんはブスでデブでしたか?
私はまだそこに、「チビ」というのがプラスされます。(笑)
そうですよね、大人になると顔も行動も全て自分の責任ですね。
おばさんFPさんもご自身がお好きですか。
よかったです☆
自分のこと、大事にしたいですよね。
Mathasarさん♪
難問でしたか・・・。(笑)
深く考えないことです。(^^ゞ
私は本当に、自分のことが大嫌いでしたから、生きていることさえつまらないものでした。
いわゆる“いい子”でしたからねぇ~。
よくここまで、考え方が変わったものだと自分でも感心するほどです。
これも身体が動かなくなるほどまでの病気に罹ったお蔭だと思います。
私の人生において、病気になったことは悲しい出来事でしたが、病気になってよかったとさえ感じています。
一度の人生、不満と不安を抱きつつ、楽しくない日々を送るよりは、毎日元気で楽しい日々を送る方がいいですもんね。
Mathasarさんも、ご自身が大好きですか。
よかった☆です。
気持ちよぉ~~~くわかります。
あたしの高校時代も「自分だ大嫌い」なときでした。
イイ子に思われたくてイイ子を演じて、なのにイイ子を演じる自分が大嫌いでした・・・大矛盾(爆)
“この世で自分が一番不幸”
“誰もあたしのきもちなどわかりっこない”
“みんな大嫌い”
そんな時代だったな・・・
自分を守るために心に鍵かけて、
でも、いつも誰かの助けを求めてもいた・・・
そしてあたしは、
自分が壊れないために、
そんな辛い時代を記憶から消しちゃいました。
今は、少しずつ、
大切なだけど痛い記憶を取り戻してます。
あたしもね、今は自分が大大大好きだよぉ~
「生命は」 吉野弘
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されでいるのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
自分が大好き、って言えるようになられたこと
素晴らしいことだと思います。
ほんとに…よかったです(^^)
Hiromiさんの人間味の厚みがこれまで以上に
見えた気がします。
私自身はどうかしら?
嫌いなところはたくさんあるけれど、
基本的には自分が好き、かな。
でも私の場合、ちょっと自己中心的「好き」かも ^^;)
上でたまえさんが書いていらっしゃる
「自分のことが好きななれば
自分を(心)大切に出来る
自信が持てる そして人にも優しくなれる」
というの、同感です。
自分を(心)大切に出来る
自信が持てる
そして人にも優しくなれる
そんなお母さんを見て育つ子もまた
自分のことが好きになると思うのです
自分が好きか嫌いかで言えば大好きです。
人間、誰しも生きている中で、自分を嫌いになることが一度や二度は経験しているものと思います。
そんな時、自分の考えが、まわりに影響することに気づき、自分で自分を嫌いになれば、まわりの人はもっと自分を嫌悪する。その悪循環から抜け出す為にも、自分を好きにならないと.....
頭で分かっていても、行動と持続力とまわりの協力が必要です。
もっと気楽に、自分のことを大好きと言える環境が出来ると良いのですが.....
ブスでデブだったから・・・。
少し大きくなって、ブスもデブも自分で変えられるということに気づき変わりました。
大人になったら自分の顔は自分の責任です。
自分の生き方で顔も全く変わるということも分かりました。
今の私?
大好きです。
私も、嫌だなってところはたくさんあるけど、全体的には好きって言えるようになってきたかな。
これからも、よくわからない「自分」というものを掘り下げていきたいと感じています。
新聞を読みながら、ふと思い出したことです。
でもこれは、読んで欲しい人がいるので綴ってみました。
生きていくのは容易なことではありませんよね。
でも、気持ち一つで人生に幅が出てくるように思います。
おーちゃんは素晴らしい人生の大先輩だと、私は勝手にそう思っています。
文字にするかしないかはさておき、文字から見え隠れするものがありますね。
ウチの連れ合いは、次の次の春には定年を迎えます。
おーちゃんのように意欲的な日々を送ってくれるといいなぁ~と、思っています。
しっかり自分と向き合うことのできた人の言葉がありますね。