風にまかせてふわふわり。。。

生きていると色んなことがある。

自死についての考察

2018年02月11日 13時22分35秒 | 感じたこと
先日、勤務先のPSWさんから紹介して頂いた本。


『【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況』

   



かなりショッキングな内容で、その後もあれこれと検索をかけてみる。



「身体拘束」ということがあることを初めて知った。

亡くなった舅さんが、点滴を抜くので腕を固定されていたのは知っていたけど、それが「身体拘束」とは知らなかった。





勤務先クリニックで希死念慮のある患者さんが、ご家族の勧めもありご本人も納得して精神科病院に入院された。

間もなくクリニック受診され、よくなったのかと思ったら、「家の方がマシ」と1日で退院されたとのこと。
希死念慮が消えたのか否かは分からないが、定期的に受診されている。

もしかしたら、身体拘束を受けたのかもしれない。




精神科病院での身体拘束や強制入院の実態を知るにつれ、希死念慮を持つことや、自死選択を止めるのはどういうことか…と考え始めた。

自死を勧めているわけではない。


身体拘束や入院による投薬量の増加で、死に至ってしまう精神病患者がいるのも事実のようだ。
そんな死に方をするくらいなら、自死を選んでもいいんじゃないか…という疑問が湧いてきた。
(アメリカでの強制入院の実態には目を覆いたくなった)



「自殺防止」の呼びかけがあるけれど、自殺されて困るのは誰なんだろう。
自殺をしたい人を止める権利が誰にあるのだろう。

繰り返すが、自死を勧めているわけではない。



私自身、希死念慮を持ち、消えてなくなりたい衝動に駆られながら過ごした時期がある。
自死に至らなかったのは、死ぬ勇気がなかったのと、一時的な衝動であることが認識されていたからに他ならない。



自死したいくらい、消えてなくなりたいくらい辛いんだ。
それが誰に分かってもらえるんだろう。



「心理カウンセラーです」と言いながら、紹介された本の内容を知るにつれ、精神疾患や希死念慮への疑問が湧いてきた。




この世に生を受けた以上、誰にでも生きる意味がある筈だと感じている。
生き辛さを抱えて、死にたい気持ちになったのなら、誰かに相談してほしい。

誰でもみんな最後は死ぬのだけれど、「死ぬ為だけ」に生まれてきたんじゃない筈。
その辛さを味わうことに、生まれてきたことの意味が隠れているんじゃないかと思う。



辛いんだろうけど…苦しいんだろうけど…

やっぱり自死を選ぶ前に、誰かに相談してほしい。




…そんなことを感じている。




別ブログ精神科医療の歴史










※身体拘束は高齢者介護施設でもあるようだ





















コメント    この記事についてブログを書く
« 今、前へ進む時 | トップ |  »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。