mixiでも日記を綴っているのですが、
それを通して、再会した高校の同級生が数人います。
その中の一人から、先日、自死をにおわせるメールが届いて。。。
かなり揺さ振らされました。
私は義父の自殺未遂からPTSDになっているので、死ということが連想される事象に出くわすと、身体が勝手に反応してしまうようです。
カウンセラーのスキルがあるからこそ、自分を見失わないようにと何とか思いつく術を駆使したものの、かなり感情が揺さぶられ、遅い時間であったにも関わらず、多くの友人に支えてもらった次第です。
幸いなことにメールの主は生きててくれたのですが、私の感情の立て直しは、容易ではありませんでした。
自分の無力さを感じ、自己否定…には至らないまでも、恐ろしいほどの脱力感に見舞われ、食事も喉を通らず、気付けば涙が溢れていました。
そんな自分を客観的に眺めながら、その日の日常をこなして過ごしていました。
今回、こんな経験をして得たものが一つ。
ヒトとのつながり…。
勿論、ここでも色んな人とのつながりを通して、充分承知してはいます。
あの夜、ネット上で再会した同級生やネット仲間のリアルタイムでのやり取り。
それも緊迫した状況でのやり取り…。
自死しているかもしれないメールの主を想う気持ちと共に、そんなメールを受け取った私を心配して下さる仲間たちに、何とも言えず大きな感謝の気持ちが溢れてきました。
こういう機会がなければ、気付かなかった…ことだったと感じています。
大きく感情を揺さぶられ、苦しい思いをしましたが、また一つ、宝物が増えたような。。。そんな気がしています。
生きているって、素晴らしい☆
ホント、長い一夜でした…。
生きていると、色んな出来事があると普段から感じてはいるのですが、今回も生きた心地がしませんでした。
でも、良かったです。
メールの主は、気持ちを切り替えて、過ごしてくれているようです。
ホント、生きていると色々とありますね。
同級生に助けられ、支えられて私も何とかやり過ごすことが出来ました。
人は一人では生きてはいけない…ということを改めて感じた出来事でした。。。
ポージィさんはじめ、ここでも色んな人に支えられているのを感じています。(^^)
有難いことですよね♪
予想外に、感情が揺さぶられて、すっかり気持ちが落ち着くのに、数日を要しました。
PTSD恐るべし…って改めて、感じた次第です。
EMDRってのがあるんですか。
知りませんでした。。。
けどまぁ、不自由している訳でもなく、何とかやり過ごせているので、この感情と一緒にこれからも過ごしていこうかと思っています。
ありがとうございます。m(_)m
>後は、祈りです
あ~~、これ、分かります。
私もよく祈ります。
ただ、その人のことを想って祈るだけです。。。
私には、何の術もありませんから、ホントにただ真摯に祈るばかりです。
今回のこの出来事の時も、そうでした。
もうダメかもしれない…と思いながらも、ただただ彼のことを思って祈り続けました。。。
人はそれぞれに、支え合って生きている生き物…ですね。
なさっていたのかと驚きました。
自分がもし同じ立場になったらと想像するだけで
足がガクガクするような気持ちです。
高校時代のご友人に、支えて助けてと言える
たんぽぽさんがいたこと、そしてたんぽぽさんを
支えてくれる方もたくさんいるということに
安堵の溜息が漏れました。
PTSDという症状の深刻さをたんぽぽさんから改めて知らされた思いです。
もちろんご存知だとは思いますが、PTSDを癒す方法としてEMDRという心理療法があります。
記憶が再処理されて無害な記憶となり、かなり
有効だとされています。たんぽぽさんはPSDに
つきあってけるだけのすべをお持ちでしょうが、どうしても辛くなれば、差しでがましいですが、その心理療法もおすすめします・・。
私は何度も自分のブログに書いていますように、自分自身がうつ病になり、本気で死ぬことを考えた日々があったので、クライアントさんが自死をうかがわせたり、はっきりそれを伝えられるようなことがあってもあまり驚かない
でいられます。
何というか、ある種の勘がはたらきまして、
「死にたいと思うほど辛いんだなあ。」
とか、
「死にたいとはいってもまだまだ持つな。」
とかそういう判断が可能です。
ただ、あきらめきっているやばい。。。という状況もあり、その場合の苦しさは言葉では尽くせません。もう祈るだけです。
ただ、いくら死にたいと当人が望んでも、死ねない場合があって、なんと言うか大きな守護がはたらくというか・・・・そういう場合もあって生死というのは何か非常に大きな力がはたらくな、という感じはします。
そのお友達がたんぽぽさんにメールを送ってきている間は、
「すごく辛いけど生きたい。助けて。」
ということなので、彼女が立ち直ってくれる可能性はとても高いです。
辛いときに、心のそばによりそってくれる人がいてくれるとこれほどこころ強いことはありません。たんぽぽさんは充分その人をサポートできると思います。
後、「死」という終わりがあるからこそ生きていけるというのもありますので、ここまでたんぽぽさんがする必要がないのかもしれませんが、その人の「死にたい」という気持ちすらしっかりと受け止めてあげる誰かがいたらなあと
は思います。
「死にたい」といっている人は実はとても「生きたい」ので・・・。ただ生きていることがどうしようもなく辛いだけなので・・。
手前みそではありますが、死をのぞむ人に私がすることは、その人の内なる生命力を徹底的に
信じるようにしています。そして、その人が笑顔で幸せそうに過ごしている未来のイメージを持ち続けます。
後は、祈りです。神だろうと仏だろうとその人の守護霊だろうと祈りまくります。
長々としたコメント申し訳ありません。
>カノンさんに相談することがあるかもしれません。その時には、助けて下さいね。(^^)
もちろんです。
こんな私でよかったらいつでも何でもします。
たんぽぽさんにはさんぽぽさんをサポートしたいと思っている方がたくさんいらっしゃるので
素敵だと思います。
それにたんぽぽさんもちゃんとSOSを出しておられますし・・・。ご自分とのつきあい方をよく分かってらっしゃる。
何よりもご自身のお気持ちと精神状態をいたわってお大事になさってくださいね。
本当にながながとごめんなさいでした。
ありがとう。
あはは…(^^;
結構、翌日ダメージ大きかったです。
でも生きててくれてよかった。。。☆
PTSDってのは、ホント、自分の意識ではどうにもならないモノなんだと、身体の反応を感じる度に思います。
勝手に反応していますからねぇ…。
今でも、心臓がバクバクしているんですよ。
どうしようもありません。(笑)
こういう「体質」だと思って、一生お付き合いするだけです。(^0^)
あの夜のネット上での私の声は、メールの主を何とか助けたい…という思いよりも、「こんな状況に置かれている私に、誰かいい知恵を教えて!」とか「私一人では受け留められないから、みんなで受け留めて」という、私自身の叫び。。。だったのかもしれないな…と、後になって思っています。
それにしても、多くの人を遅い時間まで巻き込んでしまいました。(^^;
改めてお礼を申し上げると共に、お詫びを申し上げたいような…そんな気持ちです。
ありがとう。
助けられました。。。(^^)♪
カウンセリングについて学んでいたことから察するに、おそらく即座に自死するようなことはないだろう…と思いつつも、時間が経つにつれて、返事が返ってこないことに不安を感じました。
しかも、私自身がPTSDによるフラッシュバックの症状が出るんじゃないかという不安…。
長い一夜でした…。
「自死」は是か非か…。
色んな考えがあるでしょうが、私は反対です。
病に苦しむ人に「生き抜いて」の言葉は、かなり酷なように聞こえるかもしれません。
けれど、この世に生を受けた以上、その生を全うしてほしい…と願うのは、その苦しみを知らない私の傲慢でしょうか?
病に苦しむ最中は、絶望ばかりが感じられるかもしれません。
けど、そこに至るまでに楽しいことも1度くらいはあった筈です。
死にたいくらいの苦しみを味わっている人だからこそ、死の淵から這い上がって来た時の喜びを感じられるんだと思うのです。
それを信じて、魂をも含めたサポートをカウンセラーはなさっていらっしゃるのだと感じています。
そういうことを考えると、私はやはり、カウンセラーにならなくてよかったんだなぁ…と、妙に納得しています。(^^;
メールの主は、その後「自死」という選択を選択肢の中から外す…とは言っていますが、そう簡単に人の意識は変えられないモノ。
けど、この主を信じて、私にメールを送ってくる間は、何かしらの私にできる援助をしていこうかと思っているところです。
カノンさんに相談することがあるかもしれません。
その時には、助けて下さいね。(^^)
あ~、想いを上手く言葉に乗せることが出来ませんが、今はそういう思いです。。。
ここまでの精神的・身体的状況が、ひまわりさんを襲っていたとは、想像できてませんでした。
ただ単に「ミイラ取りがミイラになってはいけない」という想いだけでした。
そうは言っても、ネット上でできることの限界もあって、ずいぶんもどかしさを感じたものですが、
しかしそんな中で、みんなの言葉がひまわりさんの心を和ませる効果があったのなら、これは冥利に尽きます。
私の性格上、それが仕事だと割り切れずに一人一人のクライアントさんへの思い入れが深すぎて、例えば、大切なクライアントさんが本当に
自殺してしまった場合、私は果たしてこの世に
踏みとどまれるのだろうかとまで思いつめることがあります。
でも、同時にたんぽぽさんのように、そんな私を支えてくれるたくさんの仲間がいて、それによって私自身、クライアントさんが生きることをあきらめないでいられるようにサポートし続けることができます。
また、どうして自殺はいけないのだろうかとか、本当に自殺は悪いことなのだろうかとか
そんな根源的な問いを自問自答することがあります。
治るか治らないか先の見えない苦しい苦しい心の病を抱えた人たちに「それでも生き抜いて」ということがとても残酷に思えることもあります。
それでも、それでもやっぱり生きてきて良かった、辛いけど何かしら希望が見える、生きていることに意味がある、と思ってもらうために、自分のなしうることを全力でするしかないのだろうか、
と今は思っています。
生きているって素晴らしい、辛くて苦しくてやりきれないけどやっぱり生きているって素晴らしいそんな風に思ってもらえるために、何でも自分のできうることをしたい、と今は思って
いますね・・・。