卓也がまだ、小学校に入った頃だっただろうか。。。
「人間は、生まれてきたということは、何か意味があるんやろなぁ」
と言ったことがあった。
色んな動植物がある中で、“人間”として生まれてきたことには大きな意味があって、生きている間に何かをする為に生まれてきた筈だと感じたらしい。
それを何日か、考えていたらしいのだが、その頃の卓也には、まだ難しすぎて…考えれば考えるほどに怖くなってきて…考えるのを止めたらしい。
その当時、その話を聞いて私は
「いい事に気付いたと思うけど、
今は、毎日を元気に楽しく過ごせるようにしたらいいんじゃない?
またそのうち、そういうことを考えたくなる時が来るわ」
と言ったと思う。
昨日、帰宅した卓也が言ったことは、
「運命は、自分には分からんだけで、決まってるんやろなぁ~」
ということ。
彼が言うには、
「例えばな、ジャンケンをするとして、何を出すのかお互い分からん。
けど、結果は、ジャンケンをする前から決まってるねん。
それがオレ等には、分からんだけやねん。」
何故、そう思うのかと聞いてみたところ、説明は出来ないけどそう思うらしい。
そして、その結果が分からんから、オレ等は生きていける。。。とも言った。
ふ~ん。。。
小学校6年生にもなれば、そんなことを考えるのか…と思った。
確かに、私もそう思う。
人生って言うのは、ある程度、決まっているんじゃないかと思う。
「右を選んだらAコース、左を選んだらBコース」ってな具合の違いがあるだけで…。
卓也がこれから生きていく中で、色んなことを感じ取っていくことだろう。
困難なことも多々あるだろう。
そんな時に、困難に押さえ込まれないように、考える力と適切な判断力を育ててやらなければ…ね。
もしかすると、その芽はもう、十分伸びているのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
「人間は、生まれてきたということは、何か意味があるんやろなぁ」
と言ったことがあった。
色んな動植物がある中で、“人間”として生まれてきたことには大きな意味があって、生きている間に何かをする為に生まれてきた筈だと感じたらしい。
それを何日か、考えていたらしいのだが、その頃の卓也には、まだ難しすぎて…考えれば考えるほどに怖くなってきて…考えるのを止めたらしい。
その当時、その話を聞いて私は
「いい事に気付いたと思うけど、
今は、毎日を元気に楽しく過ごせるようにしたらいいんじゃない?
またそのうち、そういうことを考えたくなる時が来るわ」
と言ったと思う。
昨日、帰宅した卓也が言ったことは、
「運命は、自分には分からんだけで、決まってるんやろなぁ~」
ということ。
彼が言うには、
「例えばな、ジャンケンをするとして、何を出すのかお互い分からん。
けど、結果は、ジャンケンをする前から決まってるねん。
それがオレ等には、分からんだけやねん。」
何故、そう思うのかと聞いてみたところ、説明は出来ないけどそう思うらしい。
そして、その結果が分からんから、オレ等は生きていける。。。とも言った。
ふ~ん。。。
小学校6年生にもなれば、そんなことを考えるのか…と思った。
確かに、私もそう思う。
人生って言うのは、ある程度、決まっているんじゃないかと思う。
「右を選んだらAコース、左を選んだらBコース」ってな具合の違いがあるだけで…。
卓也がこれから生きていく中で、色んなことを感じ取っていくことだろう。
困難なことも多々あるだろう。
そんな時に、困難に押さえ込まれないように、考える力と適切な判断力を育ててやらなければ…ね。
もしかすると、その芽はもう、十分伸びているのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
色々考えられるんだろう… いつもながら感心します。
ほんとうに考え深く聡明なお子さんですね。
コースの違いだけで行き着く先は決まっている。結果が分からないから生きていける。
そうなのかもしれませんねぇ…。
江原さんとか細木さんには行き着く先のことが見えるんでしょうか。
でも、アドバイスされますよね。このままでは○○だから□□しなさい、って。
っていうことは、決まっているかに見える運命も変えられないものではないのかも…。
「運命は、自分には分からんだけで、決まってるんやろなぁ~」と考える今のタックン。
いつか「結果は事前に分からないけれど、自分の行動で運命が変わることもある」と考えるタックンがいるかもしれません。
リハビリから帰ってきました。
どうしても今日は歩行器で260メートル歩くんだと
気合を入れて出かけました。
230メートルまではできたのですが、火曜日に
260メートルにチャレンジし断念。
今日はどんなことをしてでも耐えると・・・
しかし、245メートルで膝ががくがく、用心をし、
車椅子に座り少し休憩を入れ、腿の復活を待ち残り15メートル、260メートル達成。
できたんですよ。そう信じて歩きました。
私の頭には、不可能、だめという言葉はありません。
今だめでも、将来絶対できるという思いでいます。
パソコンで打って用意していったはがきに、
リハビリの先生のサインを取り付けました。
入院中はノートに記念すべき日にはサインをもらっていました。
2006年5月25日 歩行器で260メートル歩きましたという証明です。
命の恩人への誕生日プレゼントを作りました。
明日26日です。
今朝ひとつ、私が尊敬している人生の先輩のサイトの記事を読みました。
ブログ記事にはっとしました。
http://www.fuyo-haruna.co.jp/hitokoto-171105.html
読んでみてください。
たっくんは小さいながら、きちんと考えているんですね。
えらいです。
どんな境遇でも明るく乗り越えて行けるお子さんに育ってみえますね。
がんばっているHiromiさんへのご褒美だと思います。
苦難を乗り越えようとしているとき、
家族の絆はより深くなります。
卓也は、親の私が言うのもヘンですが、時々、ちゃんとした大人のように見えることがあります。
考えていることも、道理が分かっていて、筋が通っているので、驚かされることがあります。
色んなことを考え感じるようで、その時々で、私に話してくれます。
聞いていて面白いし、私も卓也に色々感じたことを話します。
そうかと思うと、親子喧嘩をしているのですけどね。(^^;
先のことはよく分からないけれど、決まってしまっているレールの上を、分からないままに歩いているだけかも知れないけれど、人の意見も聞きながら、自分で考え選んで人生を歩んでいって欲しいと思います。
これから色んな経験を積んで、色んなことを感じていくことでしょう。
楽しみです。
大人が思うから、難しいことのように思うのでしょうが、案外、子どもは色んなことを考えているのかもしれないなぁ…って卓也の話を聞いているとそう感じます。
そうですね、おーちゃんが仰るように、感じ方が変わってくれるといいですね。
運命が決まっているなんて、私もちょっとイヤですね。
「変えられる」方がいいですね。
今度こんな話をした時には、そう話します。
ありがとうございます。
260mの成功、おめでとうございます!
素晴らしいご努力ですね。ご立派です!
未歩さんの頑張りには、いつも頭が下がります。
そうですよね、何でも初めから諦めていてはダメですよね。
何の進歩もありませんよね。
また一つ、未歩さんの実践の中から、気付きを頂いたようです。(^^)
卓也は、日々、色んなことを感じながら過ごしているんだと思います。
今朝も、朝食を摂りながら、二人で色んな話しをしました。
そのうちまた、記事にします。
「タッくんはどう思う?」と聞くと、必ず、自分なりの考えを話してくれるんですよ。
だから話していて、面白いです。
…って、かなり手厳しい突込みを入れられることも、多々あるのですけどね。(^^ゞ
話し合える親子、有難いことだと感謝します。
いつまで続くのでしょうね。
ご紹介いただいたブログ、早速お邪魔しました。
またまた頷きながら、拝見しました。
同じ時間を過ごすのなら、やはり笑って楽しく過ごしている方が、人生豊かになるでしょうし、心地いいですもんね。
一層、心掛けるようにしますね。
ご紹介くださって、ありがとうございます。
言葉の意味だけを狭義に捉えれば、「宿命」とか「運命」は前世から決まっていて変えられないとなるかもしれません。しかしこれは、何千年何万年もの人類の長い歴史から見た仏教的な見解であり、単なる概念に過ぎません。誰も知らないのですから。だとすれば、私達が生きられるせいぜい80年前後(かつては、人生40年50年の時代がありました)の人生が、最初から決められているなどということは有り得ないと言えるのではないですか。自分の人生(運命なんて言葉はやめて)は自分の力で変えられるものであるし、自分の力で切り拓いて行くべきものである、と思います。そうでないと、たった一度の人生が余りにも詰まらなくなるではないですか。
ある程度の年を取れば、「如何に死ぬか」ということが大きな課題となりますが、若い間は「如何に生きるか」が大切な命題であることは言うまでもありません。そのどちらも、自分で考え自分の力で見つけ出して行くべきものではないですか。
ジャンケンの結果は決まってはいません。ジャンケンで何を出すかは、自分の意思で決められます。直前に変えることも可能です。ただ、相手が何を出すかは分からないので、必ず勝つとは限りません。しかし、ジャンケンに強い人は、推測したり判断することに長けているからです。それが知恵や経験の積み重ねなのであり、自分の意思や努力で得られるものであると思います。卓也くんが「自分自身の人生」を生きて行かれることを切に願っています。
「準備」 高階杞一
待っているのではない
準備をしているのだ
飛び立っていくための
見ているのではない
測ろうとしているのだ
風の向きや速さを
初めての位置
初めての高さを
こどもたちよ
おそれてはいけない
この世のどんなものもみな
「初めて」から出発するのだから
落ちることにより
初めてほんとうに高さがわかる
うかぶことにより
初めて
雲の悲しみがわかる
わたしも結局その時には結論は出なかったと思いますが.....
個人的には、運命と宿命とがあり運命は自分で変えることができるものだと思っています。
おっしゃる通り、右もしくは左を選ぶかによって運命は変わると思いますが、その選択は自分の意思で選ぶことができるはずです。
その意味では運命は決まっているのではなく、自分で切り開くことができるものだと.....
もし、その選択権が自分にないとしたら、生まれてくることに意味がないのでは.....
分岐点に来た時に、いままで学んだことによって判断し選択することができるのだと、だからこそ、その分岐点に到達するまでに色々な経験、学びが必要なのだと....
万が一、不幸を選択したとしても、その経験を次回の分岐点でプラスに出来るかはその間の本人の努力次第ではないでしょうか?
同じ経験をしてもプラスに取るかマイナスに取るかでその後の人生は大きく違ってくるはずです。
自分の人生、運命決められていたとしても、それに従うのではなく生きている間は少しでも足掻いていたいものです。
いつも考える種を置いてくださって、ありがとうございます。
ある程度の運命は、生まれながらに背負っているものと感じていますが、人生は自分の気持ち一つで、変えられるものですね。
確かにそう思います。
右か左か…チョイスするのは、自分ですから。
今の卓也は、こんな風に感じているのでしょうが、私はそれを肯定するでもなく否定するでもなく、彼がこれから生きていく中で、何かを感じて生きる為の目標を持ってくれればそれでいいと思っています。
確かな答えなんて、どこにあるのかは分からないし、確かな答えなんていうものは、ないに等しいのではないかと思うからです。
生きていくことは、大変なことです。
けれど、それに負けずに生きていける思慮と心の強さをこれから身に付けていって欲しいと、親として願うばかりです。
Mathasarさんも、この年齢に、こんなことを考えたことがおありでしたか。
結論なんて、きっと幾つになっても出ないのでしょうね。
人生が決められていると仮定して、その人生に縛られて、レールの上を歩くだけなんてのは、イヤだと感じています。
また、子どもにもそんな人生は過ごして欲しくはないと思います。
その時々に考え、自分で選んで歩んでいってほしいと願います。
>万が一、不幸を選択したとしても、その経験を次回の分岐点でプラスに出来るかはその・・・
そうですよね、何が不幸かなんてのも、長い時間が経たないと分からないこともありますしね。
例えば今の我が家の状況、一般的に考えれば不幸な出来事ですが、家族のつながりが深まれば、決して不幸だけでもないと言うこと。
(…って、負け惜しみみたいですね。^^;)
この世に人として生を受けたこと、彼は彼なりに、自分の人生を流されるだけではなく、生きていって欲しいと願います。
多分ヤツは、今一生懸命に生きていると、見ていて感じています。
ありがとうございます。
ジャンケンの話なんて「ほぉぉ~ぉぉ」って唸っちゃいました。
運が良い悪いも運命の一つなんでしょね。
だから開運求めて神社仏閣にすがるのかも。。。
避けられない出来事もあるけど、大事なのはその後ですよね。
その時、気持ちをどうもっていくか、どう動くべきか、それを乗り越えられる力が備わってるか。。。
小学生にしてこんな深い事考えてる卓也くんだもん、大丈夫!
芽はしっかり伸びてますよ。
頼もしいですね、Hiromiさん。
うんうん、ありがとう。m(_)m
決まりきった道を歩むだけの人生なんて、味気ないよね。
イヤだよね。
卓也には、しっかりと自分の足で、自分の人生を歩んで欲しいと願っています。
親が足かせを付けない様に、気をつけなくっちゃね。(^^;
卓也は時々、「ん?」と思うようなことをいいます。
そして私も考えさせられます。
一緒に考えます。
目の前の現実を見据え、それをどう対処していくのかを見極められる人になって欲しいと願っています。
そして、後悔のない人生を送って欲しいと願います。
芽は伸びているでしょうか?
ありがとうね、ちょびママさん☆