ラッキーノッツ

さまざまな出会いを大切にして・*:..。o○☆*゚

すると故郷は長野・・・と言えるのだろう(;`)かな~

2006年10月21日 | ○○に…


実家から、父方の墓のことで連絡がありました。こうしたことは家族も私もあまり詳しくないので、四苦八苦してしまいますねえ…

ややこしい計算ですが…父は祖父が五十歳くらいの子どもでした。で、その祖父も遅い年齢で出来た子で、つまり私のおじいちゃんの父母は江戸時代の人になります・・・

長野の生まれ、代々諏訪大社に深く縁があり、善光寺に仁王門を寄進した家系、信仰心がある代々だったのですねえ、フムフム

しかし、本家を継ぐはずの祖父はその閉鎖的な地域がおイヤになり、お恥ずかしながら駆け落ちなどをして東京の大田区久が原に住んでおりました。もちろんいろいろ援助してもらっていたようですが・・・

そしてその兄弟はあと一人、それもその当時としてはなかなかの国際派、ハワイに留学し、そのまま現地にお住まいにとあいなりました…

つまり、本家を継ぐ人がいなくなったというわけです。墓も荒れてました・・・

その親戚も、私たちしかおりません。ですから年に一回、せっせと墓参りに行っております。しかしその一団も年を取り、辛くなってまいりました・・・さてどうしたもんかのう、とまあこんな具合ですか。

瀟洒な資料館があります。そこで先祖の歴史が分かりますわけです。それはいいことですよ。血が懐かしいと騒ぐようであります。

「山形村ふるさと伝承館」なかなかなものです。お墓参りがなければ知らなかったことも多くあります。

♪金襴 どんすの 帯締めた~の長野であります。まだ見ぬお宝発見で、小冊子をお土産にしてまいりました。地元を捨てた子孫など、堂々とすることなど出来ません。ですから…

…そっと、故郷をご紹介いたしましょう。歴史に興味ある方、ちょっと必見ですぞ~。



清水寺であります。京都にもあります清水寺と縁があります。
坂上田村麻呂が東征の途次(とじ)、本村清水寺に参詣して東征を祈願した結果成功し、霊験あらたかであった為、本村清水寺のご本尊を京に移したといわれてまして、それが東山にある京都の清水寺であり、ここ長野の清水寺が本家であると言われてるそうであります。へ~と驚きです。

境内には、坂上田村麻呂が休息したという「田村麻呂の腰掛石」があります。
ねっ、ちょっと聞かなかった話でしょ。テレビでも見たことないのよね、この私も。
                
どうです、この古い苔むした仁王像さま。いつの時代に誰が造ったのか知るすべもないくらい古く、非常に古格に富み、(土偶によく似た顔をしている)ほかに類形がございません…すっばらしい…と絶賛しております私、やはり血でしょうか…


双体どうそじん、と申します、彫り物であります。このメッカであります長野県なのに山形村。村を行き来した高遠藩の石工たちが道に残した力作が四十体も。

どれも恋人や夫婦と、仲むつまじき、あつ~い二人が一つの石に刻まれております。長野は夫婦仲良し、情熱の道路ってことですかね。仲良きことは美しきかな、そんな歌も読まれてますわけで、とにかく美しい国であります。

三代東京、多摩川辺りなのですが、私の中では断然!ここ長野なのに山形村、大好きなのです。しかし故郷とは言えない事情があるのですよ。複雑ですわね。

そうそう、お墓のこと真剣に考えないと…












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