その23 ビルマ難民
ニュージーランドは移民の国です。
特にオークランドは、アジア系移民も多く、私達のような国際結婚カップルに
も居心地がいいのです。移民の中には、難民としてニュージーランドに受け入
れられた人々も含まれます。
オークランド近郊では、ベトナム、アフガニスタン、ソマリ、ボスニア、ビル
マなどからの難民が居住しています。
毎年3月、ポッターパークでオークランド市主催で難民のお祭りが開かれるほ
どです。各国のパフォーマンスや民族料理のお店がでます。
私の夫はビルマ人で、オークランドで難民のサポート活動のボランティアをや
っています。
2001年に100名余のビルマ難民がやってきたのを皮切りに、毎年ビルマ難民が
ニュージーランド政府に受け入れられています。
ニュージーランドは国連で指定された難民受け入れ国の一つです。
ビルマの難民の受け入れ先は、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、
イギリス、スウェーデンなどがあります。
今年は、3月、5月、11月と3回に分けてビルマの難民が来ます。
1988年のラングーンでの紛争以来、ビルマでは政治的に不安定な状況が
続いています。
反政府のリーダーであるアウンサンスチー女史は、ノーベル平和賞を受賞し、
90年の総選挙では過半数の票を獲得したにもかかわらず、現政府による自宅
軟禁にされたままです。
今年第一回目のグループが、3月31日にタイ国境の難民キャンプからとマレー
シアからやってきました。
タイ国境からやってきたのは、およそ60人でナガニー族、いわゆる首長族と
いわれる人たちです。大多数のビルマ難民はタイ国境付近の難民キャンプに収
容され、国連の難民認定を受けた後、難民受け入れ国に送られます。
マレーシアからは、主にチン族の不法滞在者40名ほどです。最近クアラルン
プールでのチン族教会への弾圧から、不法滞在のチン族が注目され始めました。
今回は特別の措置で、国連が運営する難民キャンプ以外からの、ビルマ難民
としてチン族がやってきました。このグループは独身の男女が主です。
一般にビルマ人とよばれるのは、ビルマ、シャン、カレン、チン、ヤカイン族
がいます。彼らは異なった文化も持ち、それぞれの言語があります。ナガニー
族は少数部族のひとつです。
今回タイの難民キャンプからやって来た子供達は、タイ語とカレン語を話し、
ビルマの国語のビルマ語を話せない子も多いです。
ニュージーランドでは、難民の到着から地元住民として落ち着くまでシステム
化されたサポートで、非常にスムーズに世界からの難民が受け入れられていま
す。
世界各地の難民キャンプから、国連の世話でニュージーランドに到着した難民
は、空港に近いマンガレイのRefugee Centreに収容されます。
彼らはここに4週間いて、その間に結核などの健康診断を受けます。
ニュージーランドで生きていくための必要言語、英語教育は到着後すくに始ま
ります。
キャンプでは、一部屋に2人ずつ入り、食事は食堂で全員でとります。
その間に1家族に付き一人スポンサーがつきます。スポンサーは、難民の人達
がスムーズにニュージーランドの生活になじめるようにすべての面にわたって
ボランテアとして働きます。
難民のWINZ(Work & Income New Zealand)からの生活保護の受け取り、
子供の入学手続き、買い物の手伝いもします。
センターをでて一家族ずつ各地域のstate house(政府の低所得者の為の住宅)
へ引っ越した後も、スポンサーは平均週1回訪問します。
難民の中には妊娠している婦人もいて、来てすぐ出産する人もいます。
難民は最初にRefugeeのビザを支給され、だいたい5年くらいでニュージーラ
ンド市民となります。
4週間後、難民は政府の指定する地域へ移動させられます。最低3年間は、
進学などで他の地域の学校に行くなどの特別な事情がない限り、指定地域から
移動することを許されません。市民権取得後は、ニュージーランドにとどまる
人達もいれば、親戚知人をたよってオーストラリアやアメリカなどに渡って行
く人もいます。
今回、ナガニー族たちは、出発当日朝11時にニュージーランドへ行くと知らさ
れ、6時に旅立ち、翌日夕方オークランドに到着しました。
まさに着の身着のまま、飛行機にのったと言う感じです。中には靴もなく、は
だしの人もいました。
難民キャンプの中でも、選ばれた家族だけが他国へ受け入れられるため、やっ
かみなどを避けるための措置だと思われます。難民のなかには第3国に旅立つ
まで2-3年かかる人もいます。
今回は1歳から10歳ぐらいまでの子供連れの家族が多かったです。なかには1
歳から9歳の5人の子持ちの家族もいました。
タイのバンコクからの飛行機は難民だけのチャーター便で、ソマリ、アフガニ
スタンの難民と合流しました。
夫はこの4週間の間、毎日のようにセンターを訪れ、事細かにビルマ難民の世
話を焼いていました。テレフォンカードを渡して、タイやビルマにいる家族と
の連絡や、イーメールを代筆したりしました。
皆様からご寄付頂いた衣類、食器をセンターに運び、難民に分け与えました。
ほとんど手ぶらでやって来たビルマ難民も出発近くにはけっこうな物持ちとな
り、入れ物として我が家からもスーツケース、旅行かばんを寄付しました。
4月27日にオークランド空港からビルマ難民は、ウェリングトン、ネルソン
へと旅立って行きました。現地の空港ではスポンサー、地元サポートグループ
が出迎えたそうです。
いつも、このような難民の受け入れはニュージーランド政府の援助ばかりでな
く、普通の市民の善意に支えられていると実感します。
一市民として、あるいは宗教心、道徳心から困った人たちを助けてあげよう、
いい意味での善意がニュージーランド人にはまだまだ健在です。
教会や非営利団体の属して、チャリティー、ホランティアを日常的に行って
いて、その行動力、組織力にはすばらしいものがあります。
ビルマ難民が来ると聞いただけで、ガレージを整理し寄付品を取りに来るよう
にという、電話があちこちからはいってきます。つぎの難民がやってくるまで、
我が家のガレージは寄付品の山となりそうです。
ビルマ難民の人たちも、ニュージーランド人の善意を裏切らないで、初心を
忘れずニュージーランドに定着してくれることを祈りたいです。
第1回ビルマ難民の受け入れから5年、彼らは良くも悪くもキーウィー化して
きたと思います。また別の機会に詳しく触れたいと思います。
ニュージーランドは移民の国です。
特にオークランドは、アジア系移民も多く、私達のような国際結婚カップルに
も居心地がいいのです。移民の中には、難民としてニュージーランドに受け入
れられた人々も含まれます。
オークランド近郊では、ベトナム、アフガニスタン、ソマリ、ボスニア、ビル
マなどからの難民が居住しています。
毎年3月、ポッターパークでオークランド市主催で難民のお祭りが開かれるほ
どです。各国のパフォーマンスや民族料理のお店がでます。
私の夫はビルマ人で、オークランドで難民のサポート活動のボランティアをや
っています。
2001年に100名余のビルマ難民がやってきたのを皮切りに、毎年ビルマ難民が
ニュージーランド政府に受け入れられています。
ニュージーランドは国連で指定された難民受け入れ国の一つです。
ビルマの難民の受け入れ先は、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、
イギリス、スウェーデンなどがあります。
今年は、3月、5月、11月と3回に分けてビルマの難民が来ます。
1988年のラングーンでの紛争以来、ビルマでは政治的に不安定な状況が
続いています。
反政府のリーダーであるアウンサンスチー女史は、ノーベル平和賞を受賞し、
90年の総選挙では過半数の票を獲得したにもかかわらず、現政府による自宅
軟禁にされたままです。
今年第一回目のグループが、3月31日にタイ国境の難民キャンプからとマレー
シアからやってきました。
タイ国境からやってきたのは、およそ60人でナガニー族、いわゆる首長族と
いわれる人たちです。大多数のビルマ難民はタイ国境付近の難民キャンプに収
容され、国連の難民認定を受けた後、難民受け入れ国に送られます。
マレーシアからは、主にチン族の不法滞在者40名ほどです。最近クアラルン
プールでのチン族教会への弾圧から、不法滞在のチン族が注目され始めました。
今回は特別の措置で、国連が運営する難民キャンプ以外からの、ビルマ難民
としてチン族がやってきました。このグループは独身の男女が主です。
一般にビルマ人とよばれるのは、ビルマ、シャン、カレン、チン、ヤカイン族
がいます。彼らは異なった文化も持ち、それぞれの言語があります。ナガニー
族は少数部族のひとつです。
今回タイの難民キャンプからやって来た子供達は、タイ語とカレン語を話し、
ビルマの国語のビルマ語を話せない子も多いです。
ニュージーランドでは、難民の到着から地元住民として落ち着くまでシステム
化されたサポートで、非常にスムーズに世界からの難民が受け入れられていま
す。
世界各地の難民キャンプから、国連の世話でニュージーランドに到着した難民
は、空港に近いマンガレイのRefugee Centreに収容されます。
彼らはここに4週間いて、その間に結核などの健康診断を受けます。
ニュージーランドで生きていくための必要言語、英語教育は到着後すくに始ま
ります。
キャンプでは、一部屋に2人ずつ入り、食事は食堂で全員でとります。
その間に1家族に付き一人スポンサーがつきます。スポンサーは、難民の人達
がスムーズにニュージーランドの生活になじめるようにすべての面にわたって
ボランテアとして働きます。
難民のWINZ(Work & Income New Zealand)からの生活保護の受け取り、
子供の入学手続き、買い物の手伝いもします。
センターをでて一家族ずつ各地域のstate house(政府の低所得者の為の住宅)
へ引っ越した後も、スポンサーは平均週1回訪問します。
難民の中には妊娠している婦人もいて、来てすぐ出産する人もいます。
難民は最初にRefugeeのビザを支給され、だいたい5年くらいでニュージーラ
ンド市民となります。
4週間後、難民は政府の指定する地域へ移動させられます。最低3年間は、
進学などで他の地域の学校に行くなどの特別な事情がない限り、指定地域から
移動することを許されません。市民権取得後は、ニュージーランドにとどまる
人達もいれば、親戚知人をたよってオーストラリアやアメリカなどに渡って行
く人もいます。
今回、ナガニー族たちは、出発当日朝11時にニュージーランドへ行くと知らさ
れ、6時に旅立ち、翌日夕方オークランドに到着しました。
まさに着の身着のまま、飛行機にのったと言う感じです。中には靴もなく、は
だしの人もいました。
難民キャンプの中でも、選ばれた家族だけが他国へ受け入れられるため、やっ
かみなどを避けるための措置だと思われます。難民のなかには第3国に旅立つ
まで2-3年かかる人もいます。
今回は1歳から10歳ぐらいまでの子供連れの家族が多かったです。なかには1
歳から9歳の5人の子持ちの家族もいました。
タイのバンコクからの飛行機は難民だけのチャーター便で、ソマリ、アフガニ
スタンの難民と合流しました。
夫はこの4週間の間、毎日のようにセンターを訪れ、事細かにビルマ難民の世
話を焼いていました。テレフォンカードを渡して、タイやビルマにいる家族と
の連絡や、イーメールを代筆したりしました。
皆様からご寄付頂いた衣類、食器をセンターに運び、難民に分け与えました。
ほとんど手ぶらでやって来たビルマ難民も出発近くにはけっこうな物持ちとな
り、入れ物として我が家からもスーツケース、旅行かばんを寄付しました。
4月27日にオークランド空港からビルマ難民は、ウェリングトン、ネルソン
へと旅立って行きました。現地の空港ではスポンサー、地元サポートグループ
が出迎えたそうです。
いつも、このような難民の受け入れはニュージーランド政府の援助ばかりでな
く、普通の市民の善意に支えられていると実感します。
一市民として、あるいは宗教心、道徳心から困った人たちを助けてあげよう、
いい意味での善意がニュージーランド人にはまだまだ健在です。
教会や非営利団体の属して、チャリティー、ホランティアを日常的に行って
いて、その行動力、組織力にはすばらしいものがあります。
ビルマ難民が来ると聞いただけで、ガレージを整理し寄付品を取りに来るよう
にという、電話があちこちからはいってきます。つぎの難民がやってくるまで、
我が家のガレージは寄付品の山となりそうです。
ビルマ難民の人たちも、ニュージーランド人の善意を裏切らないで、初心を
忘れずニュージーランドに定着してくれることを祈りたいです。
第1回ビルマ難民の受け入れから5年、彼らは良くも悪くもキーウィー化して
きたと思います。また別の機会に詳しく触れたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます