大阪狭山市の狭山池の博物館へ行く
狭山池は、7世紀の初めごろに誕生した日本最古のダム式のため池です。
狭山池の改修には、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元など歴史上の
有名な人物が携わってきました。1400年の歴史が重なる堤、水を取り出す樋、 堤の滑りを防ぐ木製枠工
などの土木遺産には、各時代の知恵と工夫が活かせれていました。
博物館のパンフレットより
博物館の入り口正面玄関です。 有名な建築家安藤忠雄という人の設計だそうです
現地について、まず入り口が わからない、 中に入ってからはコンクリートの分厚い壁ばかりで 南海、東南海、地震ではビクともしないだろうなーと云う感じです。
展示は奈良時代、推古天皇の時代に造られた当時からの紙芝居を見せてもらったり 貴重なものが展示されていました
(余分ですが帰りの出口がわからない 案内所のお嬢さんに右、左と教えてもらって歩きだしたのですがこれでいいのかな? 安藤さん)
数年前の大改修の時出てきた堤の現物 見る人が見れば1400年の歴史がわかるのでしょう。
たしか名古屋地方?にすんでいた 土木技術集団、黒鍬という人たちが工事に携わったそうです。
(余分ですが伊賀の忍者の映画などで黒鍬党などという名前を聞いたことがありますが・・・・)
工事に使った木製のスコップ 昔の人はエラカッタ ですねー 現代のように重機があるわけでなし
木 のスコップで池を造ったり御陵、古墳を造る
( 又余分、 エラカッタと云っても現場で働く人達は奴隷の様な身分の人であったり
各地から集められ僅かな賃金でこきつかわれたのでしょう 特に古墳のような場合は、期間が済んで故郷の妻子の元え帰る道すすがら
餓えや病で亡くなる、そんな本をよんだことがあります。 いろいろありますが今の代に生きている私達は結構な有り難いですね)