馬のない顔

「酒と昼飯」の楽園
23年春になってアルコールとランチの記録にもどってきつつある。

吉田松陰先生終焉の地と〔高しな〕/小伝馬町

2023-09-25 | あるく
地下鉄小伝馬町駅を出たらいきなり吉田松陰終焉の地と刻んだ石碑に遭遇。
 
 
▼吉田松陰先生終焉の地
 







「都重寶 石町時の鐘 

江戸時代當初の時の鐘で初め江戸城にあり二代将軍秀忠の時是を石町に移し地元四百十町より集めた鐘楼錢で維持され幕末まで石町時の鐘として親まれた鐘楼櫓下では蕪村等が夜半亭と号して俳諧の集をしていた事は有名である馬町に於ける處刑時もこの鐘を合図に執行されたが定時に鳴るべき鐘が處刑者の延命を祈るが如くその都度遅れたとあって一名情けの鐘とも傳へらる現鐘は旧楼焼損後寳永八年に改鋳したもので銘に宝永辛卯四月中浣鋳物師大工椎名伊藤原重休とある昭和五年九月石町永時鐘々楼建設会に依り十思公園に移されせ八年十一月都重寶に指定さる

 

傳馬町牢屋敷跡

大安楽寺 村雲別院・身延別院十思小学校十思公園を含む一帯の地は江戸時代の傳馬町牢屋敷跡である牢屋敷は慶長の頃常盤橋際より移り明治八年五月市谷囚獄が出来る迄存した幕末の時牢屋頭に大番集石出帶刀御豚御用山田淺右衛門がつとめた當時勤王志士九十六名が刑されている

 

吉田松陰先生終焉之地

長門の藩士吉田松陰先生は兵学に通じ憂世の念篤く萩の松下村塾で多くの人士養成に遂に有爵者六名増位者十七名有位者十四名といふ 著名士を出した。先生は國事を論じた罪により安政六年七月傳馬町牢に囚はれ同年十月二十七時三十歳にて惜しくも最期をとげた

 

江戸史跡保存協賛会

昭和五十二年十二月吉日 小伝馬町一丁目町会長柿澤常次郎寄贈」(グーグルレンズで解析)

 

▼やきとり/高しな

 
用事をすませて帰りに入店。
この構えを見たら入りたくなる。
L字カウンターとテーブル席。
 
 
▼お通し
 
 
▼久しぶりのジョッキにおしぼりの座布団
 
 

▼高くはないが安くもない
 
 
▼ホッピーセット490円
 
 
▼串焼き5本セットのうちの3本
 
 
▼遅れてきた2本
 
 
▼アルマイトのやかんにホッピーの中
焼酎の量は適当。
 
 
▼串入れはカップワインの瓶


 

▼焼き鳥にチプカシ




▼佐賀愛
 
 
▼串7本
 
 
▼〆の生ビール


 

 

 

 

 

 


八紘一宇の碑/築地

2023-08-29 | あるく

▼八紘一宇の碑



 
右「築地門跡青年団」。
左「紀元二千六百年 八紘一宇」。次の一行が読めない。裏面は潰されている。
国旗掲揚塔の台部分らしい(一坂太郎『昭和史跡散歩[東京編]』)。
 
 
 
▼八紘一宇の碑


周囲を撮っておくべきだった。
 
 
所在地:東京都中央区築地4の14 
    晴海通り沿い。場外市場側。

南座

2023-03-17 | あるく

▼南座



櫓が上がっていた。「四條南座」の文字、松竹の社紋が見える。
両脇に白い御幣「梵天-ぼんてん」が立つ。美濃紙でつくられた、神の依代。
 
「三月花形歌舞伎」の演目は、仮名手本忠臣蔵。
 
 
自分の頭上後方には北座の櫓の復刻があるはず。