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寮管理人の呟き

広島県の教育を回想する(その5)

歯抜けのようになった「前進社」跡地前に立つ時、いつも考えることがある。

 過激派は何故原理主義に陥ったのだろうか。大学入学時には並の知能はあったはずだが…。

彼等がおかしな世の中を変えようと立ち上がったことに異を唱えるつもりはない。問題なのは活動が行き詰ってからの流れだ。組織の長にまつりあげられた大して才のない、猜疑心の強い人間が、己の地位を守るために小理屈をこね反対勢力(仲間など)を吊し上げて時には死に至らしめる(粛清する)ようになった辺りから大衆にそっぽを向かれるようになった。

「革命を起こすためには人を殺めてもよい」という歪な思想が市民に受け入れられなかったのは当然だ。私が大学生となった昭和の末において過激派は旧人のように見えた。

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