琵琶湖に注ぐ相模川のほとりに到着した。今ではコンクリート三面張りの小さな川だが、江戸時代はもっと大きかったのかもしれない。 短い橋梁の河川占用物件表示板には「大津市相模町字大林・・・地先」と表示してあった。道路側が膳所2丁目で、川向こうが相模町4丁目になる。膳所城事件で牢屋敷にぶち込まれた7名は相模川を越えて死地に赴いた。さぞ無念だったであろう。