石灯籠は昭和44年(1969)10月9日に同町の文化財に指定された。平成17年(2005)2月28日久米郡久米町が津山市に編入され、久米町大字宮尾は津山市宮尾になった。
中須賀船着場石灯籠
中須賀は、吉井川の船便を利用し、下流にある備前国との交易をする物資の集積地として、また宿場町として栄えた地で、出雲街道の要衝のひとつであった。
ここにある三基の灯籠は、航海の安全を祈る為に建てられたもので、出雲街道の両側に伊勢神宮内宮・外宮(明治元年十一月吉日)の石灯籠が、また吉井川沿いには金比羅宮(嘉永七年十月吉日)と刻まれた石灯籠が建てられr、常夜灯として昭和十年代頃まで各家順番で点火していたということである。
その後、これらの石灯籠は、河川改修によりこの場所に集められ、現在に至っている。
久米町教育委員会
かつて高瀬舟が吉井川を行き来し物資や人を運んだ。鉄道建設によってその役目を終えることになるが、約80年前まで近所の人達が灯籠に点火していたとは驚きだ。確かに備後福山でもその頃までは渡し舟がたくさんあった。