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台風1号が発生したとのこと。季節はめぐります。そんななかあたしの気持ちは季節のようには進んでいない。
5月7日に迎えた蠍座の満月について書こうとしたところ、ほかのことで言葉がいっぱい出てきたのでひとまず投稿させていただこうと。
蠍座の満月の話、後ほど書いたのでリンクを置いておきます。
⇒ 蠍座の満月は他者や自己への赦しを学ぶとき 2020年さそり座の満月
このところ書いている猫の話です。2020年4月29日(水)に愛猫蓮が亡くなりました。2020年3月13日(金)に愛猫太陽が亡くなりました。
今日は太陽の月命日。亡くなったのは1時50分ごろ。その時間はたまたま外に出て、太陽に似ている野良猫さんをみながらなんとなく座っていました。もとい近づいて来ないかなと期待を込めながら座っていました。距離はなかなか縮まらないですね。太陽とよく似ている。夜に画質のあまりよくないタブレットで写真を撮ると、ますます似ている。太陽のことを思い出させてくれてありがとうとおもっていました。
太陽が亡くなってから2か月が過ぎたことになります。淋しくて切ないけれど、時間とともに悲しみは薄れるもの。だからつい心のどこかで、今の自分の精神状態が2か月経った程度の状態だと思い込んでしまっている。
だけど実際は蓮が20歳で2週間前に亡くなっているから、あたしの心は2週間経った程度の状態です。だから2か月という意識と2週間という実際の気持ちの間で齟齬が起こってしまって、苦しくなってしまっているということに、さきほど気づきました。
なんというか、立て続けに亡くなるのが非常事態すぎて、あたしの認識がついていけてないみたい。時系列が混乱しているというか、麻痺していて蓮の死をよく認識できていないというか、そんな感じなんだろうなあ。
成熟した人はそうでもないのかもしれないけど、あたしの場合は自分が受け入れ可能な許容量を少し超えているようです。人はそんなに次々と大切な存在の死を認識できないのかもしれない。
だからさきほど、太陽が死んで2週間後くらいをイメージしてみました。そうしたらとても悲しい気持ちになりました。当時に「ああ今のあたしに漲るパワー度」と似ているなとおもった。
そうか、太陽が死んで2週間後くらいをあたしはもう一度繰り返しているんだなとおもったら、いろいろなものがチューニングできた感じだった。
2か月の間に季節はめぐり、植物たちは変わっている。だけどあたしの気持ちはもう一度同じところを繰り返していて、むしろ同じじゃないけどでも積極的に繰り返したいから、2か月のつもりにならないようにしようとおもったのだった。
そして必要とあれば太陽が亡くなって〇日を思い出すというアクティビティをしようかなと。カタカナ語で失礼いたします、なんかゲームと書きたくなくてでも適当な言葉を見つけられませんでした。
みなさまには参考になるような展開が起こりませんようにとおもいながら、書いています。
悲しいけれど、太陽と連と一緒に暮らせて最高にしあわせだったよ。2匹ともありがとうね。
また書く。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
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