つぶつぶタンタンに愛猫太陽のことを綴るのを楽しみにしています。覚えていることを綴っておきたい。あたしの物語という言葉に甘え、勝手なことを書かせていただいています。
この場を使わせていただけること、感謝申し上げます。
今日起きると、廊下にあった猫用の爪とぎがなくなっていた。太陽が好きで使っていたもの。爪を研ぐだけじゃなくて、爪とぎの近辺におしっこをかけるから、もうその予防で、板にトイレシートを貼ったものを廊下に立てかけていた。なんというか、やってほしくない場所なのに「このトイレシートめがけてやってね」という公認の状態。
爪とぎはおしっこがかかっているから洗うために外に出したとのこと。爪とぎはもう1台、台所にある。1匹の猫は最近ほとんど爪を研がない。
太陽が生きていたころの家の中が一つ変わった。淋しいな。美的にはいい感じになったけれど思い出があるから前のほうがよいとついおもうだ。
あとたった今、猫の声が聞こえた気がしたので、久しぶりに外を歩いたら、太陽と散歩しているときについた人影に反応するライトが反応しなかった。はっきりと確認しなかったけれど、たぶんなくなっている。あたしはどうこう言える存在じゃもちろんないけど、せつなさがこみ上げた。
今日は買ったままセットアップしていなかった新しいスマホへの移行作業をしていた。太陽の写真をみたりして、あーこんな時もあったなと思い出した。亡くなるときのイメージが強いけど、ほかのときの写真ももちろんあるわけであって、それらの写真は昔な気がする。けれどもだんだんと亡くなる前の、そのずーっと前のも同じ太陽に見えるようになってしまうのだろうな。淋しいのだ。
前回のスマホは太陽との散歩中に落下させて、スクリーンにひびが入ってしまった。昨年の11月からはタブレットを使っていた。タブレットも散歩中に落下させてスクリーンにひびが入っている。散歩中、よく携帯端末を使っていた。
仕事部屋の押入れの下の段にどちゃっと本を置いたとき、思い出した。そういえば太陽、よくこの奥に入り込んでいたなあ。いつだっけ? 血栓症になった後だと思うけどかなり前。だから押入れの奥に足ふきマットを敷いてあげていた。
ひとりでくつろぎたかったり、人に触られるのが嫌でひっこんでいたんだろうなあ。
仏壇を載せてある台の下に入ったり、仏壇のわきでくつろいだり、くつろいでいた場所はいっぱいあるね。
足が麻痺して一度自由が利かなくなった後に、またひょいとジャンプできるようになったり、階段を普通に上れるようになったり、うれしい驚きだったよ。ずっと麻痺が残るのかもしれないとおもっていたからうれしかった。
大きな額縁の箱にもおしっこをかけたね。あたしが目撃したのは一度で、一度だと願おう。額縁の隣、一番上には網戸が立てかけてあったけど、当然網戸だからおしっこは貫通してしまった。箱にかけられたときはまいったなあとおもったけど、正直なところ、今はそのおしっこがかかったことをうれしくおもっています。(ファブリーズはやってあるけどね。)
布団や毛布にいつの間にかおしっこの臭いがついていることがあって、それはきっとあたしが散歩を催促されているのにもかかわらず起きなかったりしたんだろうね。あるいは散歩に行かずに出かけてしまったことへの腹いせなのだろうか。
先日、つぶつぶタンタンに、昨年の東京インディペンデントの搬入に行ったら家の中がおしっこまみれになったと書いた。時系列的に違和感があったのだけど、わかりました。その日は東京うインディペンデントに朝一で搬入に行って、昼過ぎまでかかり、一度帰宅。そのあと、読書交換会に出かけたのだった。
だから早朝に散歩なしで出かけられた時点で不本意で、でも夕方前に帰ってきたからやっと散歩に行けるとおもったら、そのまままた出かけたから怒りが爆発したのだとおもう。すまなかった。あの頃はまだリードなしで散歩していたなあ。今日、リードなしで散歩をしているあなたの写真をみて、懐かしくおもったよ。楽しかった。
散歩に行きたいときは、よく目があったね。思いっきり目を合わせた。最初は目が合うのを避けるようにしていたけど、途中から合うようになり、最後はガン見だった。打ち解けてくれたんだろうね。よく鳴いたね。
帰ってきてドアを開けようとしているときに中から太陽の声が聞こえることもよくあったなあ。もうあれがないなんて信じられない。
覚えていることを書いてみた。また書きたい。重複もあるけど書く。
太陽ありがとう。本当にありがとう。
この場もありがとう。はからずも読んでくださっている方、ありがとう。小説だとおもってくださいませ。
◆臼村さおり twitter @saori_u
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