今日はいい天気だった。春の息吹よ、ありがとうね。
水仙の季節が終わり、チューリップ満開。そして牡丹(ぼたん)や芍薬(しゃくやく)の季節になりつつある。石楠花(しゃくなげ)も美しい。
数年前に抜いてしまった(ごめんなさい)ハナミズキ。あなたも美しい季節だったね。
春の艶やかさに毎年圧倒される。
そしてあでやかな春に触れられることをとても恵まれているとおもっている。祖母が植木好きだったおかげです。毎年感謝の気持ちが増している。
かつて母と一緒にジャングル化していた庭を一生懸命手入れしたおかげです。もうあれから8年くらいになるんだなあ。
ストレスの対象だったり、なんというか自己評価を下げる材料だった植物たちが、好きなものにどんどんと変わっている。
いとおしいし、癒しを感じる。人って変わるものだな。
愛の反対は無関心。憎しみと愛は同じ感情であり、出方が違うだけって本当なんですね。まさに体験させていただいておりまする。
ここ数年、花たちと一緒に春をのんびりと味わえていないことを、毎年毎年ストレスに感じるようになっていた。なんだかせわしなく過ごしていて、それをもったいなく感じるようになった。「明日~」「次の日には、、、」とおもっているといつの間にか、花が散っていた。
だからゆっくりと花たちと向き合おう、エネルギー交換しようと、今年の3月4月は用事を入れないようにして、引きこもることを予定しておりました。
しかしながら、愛猫太陽が亡くなって艶やかな春を楽しむ気もちではなくなってしまって、おとなしくしているにはしているけれど、そんなに心明るくない。
社会的には新型コロナウイルスの拡大を抑制するために、緊急事態宣言が発令され、街の様子やあたしたちの生活がガラッと変わった。
用事を入れないようにしていたのは助かったものの、心のなかは当初の目論見とだいぶ異なる。
そんななかでも、季節は、春は植物はただ淡々と季節に乗って生きている。なんだかうまくいえないけれど、「植物よ、かっこいいよ」とおもう。
一緒になって春を堪能する気持ちにはなかなかなれないなかだけど(「な」がいっぱい)、できるだけ花たちを切り花にさせていただいて、家に飾るようにしている。ありがとうね、とお礼をいいながらハサミを入れて茎を切る。
ぜんぜん喪中って色合いじゃないけどそこは気にならない。飾った花たちにとても元気をいただいています。
植物たちをみていると、今日という日はただただかけがえのない日だということに気づく。今日もどうもありがとうございます。
うぉーそして、ちょっと自分としてはあまり大切じゃないことでうじうじ迷っていて、時間が過ぎた今日を思い出し、やっちまったーとおもう。
よしとしよう。
またやりそうだけど、またやりそうだけど。まあ人間ってそうなのよね。すいません、勝手に代表して。あたしってそうなのよね。
ここで気づけただけどなんか浄化された気もした、ことにしておこう。
あー、美しい。あー、癒されるのだ。
みなさま、来週も佳い週をお過ごしください。
ではまた
◆臼村さおり twitter @saori_u
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◆エネルギーサロン・タンタン
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