風来坊の忘備録

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大倭神社

2020-10-29 18:17:47 | 石仏

大倭神社は日本武尊東征の際に素盞嗚尊を祀り氷川神社とし、創建したと伝えられ

明治年間に近在の村社を合祀し,現在の名に改称したと伝わる 古社である

 

そんな由来はさておき 興味深いのは片隅に安置された 特異な庚申塔だ

邪鬼に坐した丸彫りの青面金剛像が笠付角柱の上に乗る 高さ2.5㍍ほどの石像

   

角柱の塔身の上部に青面金剛種子を刻み、その下に力士に担がれた二童子を刻む

台石には二鶏と三猿を浮き彫りで表現している

 
 

早めの七五三を祝うか 着飾った童女が老爺に手を引かれ参拝するほかに人気はなし

あまり例のない 大宮市文化財を 碧空の下 こころ往くまで堪能。

 

         おおやまとじんじゃ さいたま市西区三橋

 

 

 

 

 

 

 

 


ナッショウ坊主

2020-09-15 23:01:57 | 石仏

密林山 光善寺  本尊阿弥陀如来像を安置と、あるが締め切られた本堂は応答なし

無住か? この寺の縁起では《是寺久く住僧もたえ 衰えゆきしまま開闢の年歴等

伝わらず(新編武蔵風土記稿より)とある          また別の資料では

かつては無資格の僧が寺の掃除や寺有地の耕作をするなどし 住み込んでいたことも

あったようで そうした僧の事は俗にナッショウ坊主と呼んでいた(朝霞市史より)

だが、現在のところは 調べようがない 思った以上に清掃されてはいるが。。。

ナッショウ坊主の手になるようでもないから どなたかが清めてくれているようだ

阿弥陀様はあきらめ墓苑を観て廻る こちらも行き届いた清掃がなされいる有難し

他人様の墓ながら 合掌しつつ いくつかを写真に収めさせていただく

いくらか涼しくなったとはいえ これと言った日陰のない境内には長居は出来ない

早々に引き上げる

         あさか こうぜんじ  埼玉県朝霞市溝沼6-4

 

 

 

 


正受院 近藤重蔵のこと

2020-07-10 19:55:55 | 石仏

甲冑姿の石像 あまり見かけないものだが もと石神井川の洞窟に

あったもので 江戸時代後期の北地探検家の 通称重蔵・近藤守重の像

滝野川 正受院に安置

重蔵は正受院の東隣に文庫滝野川文庫を建て、自らもここに住んでいたが 

その時、これを作ったとされている 

下絵は 当時、江戸派の画家として著名だった 谷文晁に依頼したという

少年期から秀才と言われ 父の跡を継いで町与力を務め,関東郡代付出役

火つけ盗賊改め などを歴任。

その後、蝦夷地御用を命じられ,千島列島から北海道までの蝦夷地を探検

エトロフ島に「大日本恵登呂府」の標識を建立,日本の領土であることを

明らかにした~~らしい。  

申し訳ないが そこいら辺の知識は 全くない 改めて知らされる

一転して。。思う

逢坂剛の作品に『重蔵シリーズ』があり、そのうちの『重蔵始末』を

かつて読んだはずだが この「重蔵」と北方探検家「近藤重蔵」とが

私の頭にも心にも結びつかずそれと思いあたったのは 暫くあとのこと

記憶力欠如か発想の貧困化か 嘆かわしき事よとの思いを深くした

 

 

 

 


ふるさとへ廻る六部は

2020-05-23 16:28:48 | 石仏

   ふるさとへ

     廻る六部は  気の弱り 

  好きな作家の藤沢周平さんが ふるさと庄内地方を旅した時の気持ちを 

      やや自嘲的に詠んだ 川柳 

  このエッセイ集を読みたいものと思っているが 未だ手にしてない

  だから以下は すべて私の 読書前?感想

 

  六十六部とは 法華経を六十六部書写して 一部づつ諸国の霊場に 

      納めて歩いた巡礼 

      きつい修行で 故郷を目前にしたときには 思わず立ち寄り

  血縁者に会いたい・みたい との思いが ふつふつと。。。。

  修行中の身を忘れ耐え切れずについ、と修行放棄した例も あったに違いない

  事実、そんな例を福島で 途中行き倒れとなった修行者を供養した像を

       観たこと事がある

  作家・周平氏も 故郷への郷愁との懸命な葛藤 時代小説へのこだわりを 

      石仏に託し語ったに違いない、と思う

       

    この像 金剛界大日如来坐像 安永6年(1777年)奉納六十六部供養塔

    と,あるから 途中挫折することなく 諸国行脚を 終えたのだろう

 

    お疲れ様 大変だったでしょう

    村民が慰労の心を形にしたものか うつむいた顔に 

    心なしか旅の疲れのようなものが見える

                          写; 付島共同墓地にて

    

 

 

 

 

 

 

  

 

       

   

 

 

 


清泰寺の石仏

2020-05-14 20:57:10 | 石仏

平安時代の高僧・慈覚大師円仁開祖と伝わる

境内には武田信玄の息女・見性院の墓がある他 

350基を超える庚申塔が あたりを取り巻くように立ち並ぶ

秘仏ながら江戸時代初期の作との本尊・十一面観音もある・・・らしい  等々 

話題は尽きないが これらはすべて省略 いつかの機会に譲ることにして

石仏に見どころが多いので こちらを見て回る

初夏の日差しの中、折から外出規制で 境内に人影は見えない 一人石仏に魅入る



     

   
   
  

ここ 清泰寺には 私の亡妻の墓もある   合掌 やすらかに眠れ