風来坊の忘備録

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三つの女体神社 その弐

2020-05-31 12:37:19 | 日記

大牧氷川女体神社を往く

複雑に流れの方向を変える芝川に三方を囲まれた台地上に鎮座している

先回訪問の三室の女体神社の祭神(奇稲田媛命)の御子姫を祀ったとも伝わる

双子の姫の内どちらだと つまらないことを考えつつ 石段を登り本殿を観る 

県指定文化財らしいが建物の中   隣の公園で遊ぶ子供の声は聞こえるが

こちらは ひと気もない 覗き見ることにする いつもの悪い癖だ

    

読み取れないが 創建にかかわる歴史が書かれているようだ

地方にいくつか点在する「女体」神社はパワースポットとして女性の人生を見守る

神社として人気だそうだが ここもその一つか  

女性の守護神たるには ちょっと貧弱じゃないかと思いつつ 後にする

 

 

 

 


三つの女体神社 その壱

2020-05-30 18:06:45 | 日記

周辺に女体を名乗る神社が3か所 これをめぐってみる

 

まず 氷川(三室)女体神社 を参拝に往く 

往事この地は巨大な沼地であったといい そこに神社を三社を配置

三社で一体の氷川神社を形成し見沼を神池「御沼」とし、広大な神域を有して

いたとのこと

大宮氷川神社が「男体」、当社を「女体」 中山氷川社が「子」といった塩梅

三社は直線上にあり 太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、

冬至には東南東の当社から陽が昇るという 意図的にそんな配置をしたようだ

 

今現在 当社拝殿の額に「武蔵国一宮」と記され その石碑が境内に残されている

一国に一社の一の宮が 二か所 奇異な感じがしないでもないが・・・。

可憐な巫女さん人形も名物で 願い事が叶ったら着物を着せ返納するらしい

 

 自然にできた「こぶ」が熊の木登りに見え    江戸時代コレラ除けの心願の為、眷属狼 参拝に 
 これを見にわざわざ来る人もいるらしいのだ   三峰山に殺到したというが これもその記念?

 

 


川口市伊刈 力 神社

2020-05-29 15:45:15 | 日記

 打ち明けると この神社については殆ど重要視したことがなかった

 どこか変だなとの思いだけが先行して  後は素通り

 今回、改めて見て どこが変なのか気がついた  参道と神殿が直角なのだ 

 正面に鳥居を建て参道を通すスペースは十分あるのに なんでだろう

 今は少し窮屈だが 創建当時ならなんともなく そお出来たはずなのにと思う

 

 素人ながら頭をめぐらす 

 まず、ここ伊刈だ 「怒り」の字を当てたことも 古い以前にはあったようだ

 伝えられる「平家伝説」と考え合わせると そんなことかと、うなづける

 

 詳細は省くが平清盛のひ孫六代が落ち延び 当地に草庵をあみ一門の菩提を

 弔ったとある(あくまでも〝伝承”ではあるが)

 そんな事情から敢えて恨み・怒りを込め、一直線に結ばない配置をした 

 そう考えると合点が行くのだが 素人の当て推量 違ってたらごめんなさい

 当社 古い写真に見ると 鬱蒼とした木立の中にあったようなのだがどうだ 

 いまは 激しく車が行きかう街なかだ これじゃ平家一族も浮かばれまいに

 平家びいきの 私は寂しく思う

 

 

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 


木曽呂の木揃堂

2020-05-28 20:36:59 | 日記

 足立阪東の31番札所 おそらく一番小さいだろうとのこと

 ご本尊は十一面観音 さびれた小さなお堂には不似合いな立派なものらしいが

 未だ拝観したことはない 総開帳の時期まで待たねばならないようだが 

 この情勢では それもいつの事やら

 石仏を拝んで廻る 感じることはどこでも同じで 童子、童女の多いこと

 まるでこの地が呪われ 疫病でも流行ったのではないかとさえ 思うほど

 実態はこの地に限らず成人を待たず病気等で亡くなる子供が多かったって事か

 やめよう 見ているだけでつらくなる

 十一面観音は深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施すと言う 

 そんな菩薩の力をもってしても 幼い命を救うことができなかったのだろうか

 それでも ここに祀られているだけ この母や子らは恵まれているのだろうか

        ただひたすらに 合掌

 初夏の心地よい晴天なのに 重い気持ちを抱いて この地を後にする

 そのせいか 途中、雷雨に出会う

 

 

 

 


雑貨屋さん宅の稲荷社

2020-05-27 21:19:29 | 日記

 我が家 近所に雑貨屋さんがある

 商うものは雑多とあるらしいが コンビニやスーパーマーケットができた昨今では

 店先で日向ぼっこしている小母さんに通り掛かりに会釈する程度の存在

 だが、日ごろから気になっているのが  裏庭の小さな稲荷社

 きれいに清掃されているのに眷属の狐はいないようだ 

 神様とのお使いなんて不要ということか

 商売繁盛だけを祈り 農耕とは縁が無いからということなのかな(余計な心配だ)

 

 ところでこの小母さんだが 我が家が転居してきた時、40年近く前のことだが

 その時すでに 「お婆さん」だったと記憶しているのだが 

 相変わらず今も「お婆さん」している不思議に健在なのだ(これも余計な心配)

 もしやこれが お稲荷さんの御利益なんだろうか だとしたら俺も他人様の家内の

 神様だけど 時々手を合わせようか