手元に2冊の写真集がある と言っても文庫本サイズ
数年前に酒田の『土門拳記念館』で買い求めたもの 大型版を買わなかったのは
経済的な理由と 旅行中携行するにはその大きさにためらいがあっての事だが
そして何より 当時、土門拳にどこかしっくりこないものを感じていたから
そのことに深い理由はない ただ当時の写真仲間の〝風評”に惑わされていたから
改めて この二冊を眺めてみる 『腕白小僧がいた』と『古寺を訪ねて』
前者で「下町のこどもたち」「筑豊のこどもたち」に度肝を抜かされる
そこに表現された子供たちの なんと伸びやかなこと 赤裸々に写された 貧しさ
そんなものを吹き飛ばす”底抜けの明るさが 写真の持つ力で 伝わってくる
後者の仏像写真に 当然ながら とても太刀打ちできないと 感じた
記念館で 仏像の指先を畳一畳ほどの大きさに拡大したのを見せてもらったが
機材の違い、撮影機会の相違 素人のそんな姑息な言い訳は通用しないようだ
折角の教本がありながら 書庫に眠らせたままだったのが惜しまれる
いい写真を撮りたいとの思いが私にあるが これを見てしまうと次元が違うわい
と、感じざるを得ない 写真を撮るのが嫌になるほど・・・。