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昨年9月20日、7年半ぶりに通れるようになった富岡街道・国道114号線の浪江IC~津島ゲート間を訪れました。
沿道のあちらこちらにある、「注意 帰還困難区域内につき長時間の停車はご遠慮ください」の看板が目に付きます。
福島県双葉郡浪江町の中心部は、福島第一原発から北にわずか10キロ余り。
沿岸部が震度6強の揺れと15メートルを超える津波に襲われ、
100名超の犠牲者を出した翌日早朝、原発事故の影響で、10キロ県外への避難を強いられました。
人々は行方不明になった家族や友人を探すこともできず、多くの人々は浪江町の北東部の津島地区へ。
(結果的に津波で182名が死亡)
その津島地区に、濃度が高い放射性物質のプルームが流れ込み、危険だとわかり、
人々はさらに中通りの二本松市の体育館や学校施設に避難しました。
【浪江町の津島避難】 線量情報なく町民孤立 国と県、予測伝えず 安全信じ...空白の4日間
事故前にはDash村があった自然あふれる山間の別天地、
人口1400人の津島地区に、4日間約8000人の町民が生活したのです。
浪江町・津波の被害
http://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/attachment/8401.pdf
福島県浪江町 東日本大震災・福島第一原発事故の 記録と5年間の歩みhttp://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/attachment/4612.pdf
富岡街道 ~帰還困難区域・浪江町津島を訪ねて~
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