宿ノ浦
若松港ターミナルから今日泊まる民宿に電話をいれ、迎えにきてもらい宿ノ浦へ。今日の宿は「かずおばんの家」http://tanoshi358.com/all_minpaku/index.htm。
宿ノ浦はその昔、船で行き交う商人達が寄泊する宿があったために、このように呼ばれるようになったといわれています。今は、波穏やかな湾内で真珠やハマチの養殖が行なわれ . . . 本文を読む
青方から若松へ
青方港
五島列島、中通島の北西部に位置する青方港は入り江が多く、東シナ海に面していることで漁業が栄えてきた。上五島地区で唯一魚セリ場がある。平成4年の漁獲量は9460トン。 同港の相河地区では増大する貨物に対応してふ頭を整備。福江~博多航路の定期フェリー乗り場も建設。福江まで約2時間半、博多まで6時間で結んでいる。
漁業で繁栄 . . . 本文を読む
有川港
15:35 定刻に有川港に接岸しました。佐世保のバレーボールチームが折り返しの便に乗るようで、中通島のチームが保護者も含め総出で見送りにきていました。
ターミナルビルには鯨賓館ミュージアムが併設されていて、捕鯨や鯨の生態、有川出身の横綱・佐田の山、上五島の教会などが紹介されています。
長崎新聞 ふるさと探訪
http://www.nagasaki . . . 本文を読む
五島灘
いよいよ五島灘へ出ました。天気は快晴、べたなぎです。少々夏霞がかかっていましたが、新上五島町・中通島の有川港までの間、いろんな島々を見ることができました。
これらの島々は釣り好きの人たちのには垂涎の場所だそうです。
長崎県 企画振興部 ながさきの「しま」http://www.pref.nagasaki.jp/sima/ より
&nbs . . . 本文を読む
佐世保港
佐世保港より五島・中通島の有川港に、フェリーなみじで渡りました。佐世保港にはいくつもの軍事施設があります。船は高後崎をかすめ五島灘に出ます。
お盆ダイヤで13:05発15:35着、3時間半の船旅です。 . . . 本文を読む
米軍佐世保基地
お盆に里帰りをかねて、西九州各地を訪ねてきました。私が生まれ育った佐世保は基地の町です。実家からは米軍基地や自衛隊の教育施設が、海を挟んで正面に見えます。通っていた中学校は弾薬庫の隣接地です。
沖縄と同様、米軍兵士による犯罪や、頻繁に出入りする原子力潜水艦の放射能漏れに日々脅かされています。佐世保湾の水域の約83%は米軍の使用を優先する制限水域となっていて、自 . . . 本文を読む
現代のアート
最後に近鉄橿原神宮前にある現代の石の芸術です。
古代の人々が作った明日香村の石とくらべると、そっけないというか、味気ないというか、ちょっと物足りないような感じがします。酒船石・石舞台・亀石・猿石などは、しばらくながめていたいほどの興味を感じさせましたが、現代のアートには、それがありませんでした。ぜひみなさんも明日香村を訪れて、実物をご覧になってください。
当初 . . . 本文を読む
猿石・鬼の雪隠・鬼の俎
猿石
孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の聖母にあたる吉備姫王のお墓の前に並べられています。元々はすぐ横にある欽明天皇陵の南側の池田から堀り出されたものなのだそうです。「千と千尋の神隠し」に似たようなのが登場しますが、きっとこれをなぞらえたものなんでしょう。この猿石は左から、女、山王権化、法師、男を表しており、このうちのうち三体には、裏にも顔が . . . 本文を読む
亀石と欽明天皇陵
亀石
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8m。重さ約40tの花崗岩の巨石に亀の顔が巧みに彫られてあります。二面石と同系の素朴な石彫で、何のためにここにあるのか謎とされています。置かれている場所からみて、橘寺か川原寺に関係のある飾り石であろうとか、何かの境界をなしたとか、仏教渡来以前の土俗信仰を現わすものとかの推測が行われています。ある伝説も . . . 本文を読む
橘寺
彼岸花が咲き誇る田んぼの真中に突如現れるお寺があります。聖徳太子誕生の地に太子自身が創建とされる橘寺(たちばなてら)です。
この橘とは日本書紀によると田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、海を渡り十年後にある種を持ち帰りました。しかし、その時はすでに天皇は亡くなっていたそうです。しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘 . . . 本文を読む
二面石とマラ石
マラ石(明日香村祝戸)
国営飛鳥歴史公園祝戸地区への入口付近にあり、男性の陰茎を思わせる石が斜めに突き立っています。仏教考古学者の石田茂作によりマラ石と命名されました。宮域を示すための標石、橋脚として利用されたなどの説が出されているが確かな用途は不明。
稲渕宮殿跡
稲渕宮殿跡は、1977年の発掘調査で4棟のコ . . . 本文を読む
石舞台古墳
石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大の方墳です。
30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。
石舞台古墳とは
墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独 . . . 本文を読む
藤原鎌足 生誕の地 ~ 岡寺
藤原鎌足
父は中臣御食子、母は大伴夫人(咋子のむすめ智仙娘)。藤氏家伝は長男としていますが、名づけられた名は仲郎といい、この名からすると次男だったのではないかといわれています。
子は定恵(多武峰縁起・略記などによれば実父は孝徳天皇)・不比等(一説に実父は天智天皇)・氷上娘・五百重娘の4子。
のち . . . 本文を読む
亀形石造物と酒船石
酒船石
小高い丘の上にある竹やぶに突如現れる謎の石があります。石の長さは5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩のこの石は酒船石と呼ばれています。宇宙人のメッセージを思わせるような模様が特徴です。昔お酒を搾(しぼ)るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説があるようですが実際の所は謎です。ただ、この石の近くで水を引く土管や石棺が発掘されてい . . . 本文を読む
飛鳥寺
飛鳥寺は588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことにより,蘇我馬子が寺院建立を発願し,596年に創建された日本最初の本格的な寺院。法興寺・元興寺ともよばれました。現在は安居院(あんごいん)と呼ばれています。
創建時の飛鳥寺は,塔を中心に東・西・北の三方に金堂を配し,その外側に回廊をめぐらした伽藍配置でした。 寺域は東西約200m,南北約300mあり、百済から多く . . . 本文を読む