6月10日水曜日、梅雨入り前のカラッとした晴天の日に福島市を訪れました。
会津若松⇒郡山⇒福島市内散策
毎日、福島の地元紙をネットでチェックしていても、離れている場所に住んでいる者にとって、なかなか分かりづらいのが、福島市や郡山市といった、新幹線が通る中通りと呼ばれる地域の状況です。
駅東口で自転車を借りました。なんと市が運営していて無料なんです!気持ちのいい昼下がり、福島市内を散策してきました。
福島駅の周辺は結構賑わっていて、同じぐらいの人口(約30万)の私が住む四日市と比べても、活気に溢れていて、沢山の人が行き交っていました。観光キャンペーンの効果もあるのでしょうか?平日にもかかわらず、ある駅前のホテルもほとんど部屋が埋まっているとのことでした。
市内の様子はいたって普通で、公園で遊ぶ子ども連れ、校庭では体育の授業、河川敷では野球の練習。小中学生の下校の姿をよく見ましたが、マスクをしている子はいませんでした。
市の除染管理室を訪ね、お話しを聞いてみましたが、福島市中心部の除染はほとんど終わっていて、今は北部や西部の比較的線量が低くて後回しになっていた地域と、あとは個別に除染後の線量が 納得いかなかったお宅や線量が戻ってきたお宅の対応をしているとのことでした。
一見、日常を取り戻したような福島市。しかし、街路樹のある閑静な住宅街のなかある仮設住宅を見て、思わず立ち尽くしてしまいました。背の低いプレハブがところ狭しと建ち並び、まわりの小綺麗な庭のある一戸建て住宅とのコントラストに、愕然としました。
これから季節は夏に向かいますが、中通りの夏は結構暑いんです。この日も梅雨入り前なのに、気温は30度を越えました。
ある方が、「あんな熱のこもる狭い仮設にお年寄りを住まわせとったら、ばたばた倒れて、今年も何人か死ぬぞ」と言われていました。国からの避難指示で故郷を追われた方たちをいつまでこんなとこに住まわせるつもりなのでしょうか?
そんな状況なのに、原発事故から四年以上も経つというのに、福島市内で建設が予定されている長期避難者向けの災害公営住宅は475戸のうち71戸しか完成していません。ある建設予定現場を訪ねましたが、きれいな更地になっていて着工予定日が過ぎているのに、まだ工事にかかれていませんでした。
緩い坂道を西へ。しばらくすると緑の濃い山並みを背景に広がってきたのは水田、そして果樹園です。素晴らしい景色でした。福島駅にフルーツ王国という大きな垂れ幕がありましたが、それを実感させられました。
福島市でも西部と呼ばれる地域にさしかかると、除染中の看板がいくつかありました。後で調べてみると、福島市の住宅除染の進捗率は5月1日現在、62.6%。飯坂・吾妻・吉井田・信夫・西といった地区で除染作業が続いています。道路と生活圏の森林の除染はともにまだ19%程度と、進捗率でいうと、福島市全体では、除染はこれからという場所も多いようです。
そして、除染で出た廃棄物の仮置き場がまだまだ不足しています。市内各地8ヶ所で造成中、設計及び地元と協議中の場所8ヶ所となっています。
ある方にお聞きすると、「多くの人はもう食べ物の産地は気にしていないと思うし、会話にも出てこない。でも、とくに小さいお子さんがいるお母さんなど、なるべく安心な食材を求めて苦労している人達もたくさんいる。」と話してくれました。
福島市の空間線量は、もう大人が気にするような放射能のレベルではありませんが、全ての場所で子どもを安心して育てられるようになるには、まだしばらく時間が必要だと感じました。
しかしながら、福島市は、阿武隈川がゆったりとながれ、少し中心街を離れると、山々に抱かれた田園風景が広がり、自然溢れる素敵な都市です。
爽やかな風の中、気持ちのいい昼下がりのサイクリング(^^♪
食べ物も美味しくて、生ビールと一緒にいただいた「ふくしまやきとり」も絶品でした~
※この投稿にコメントをいただきました。
まだまだ産地は気にしてるし、マスクしてないから線量が下がったわけじゃないですよ。あきらめたか、もう大丈夫だと高をくくってるだけ。特に子供は、その怖さを自覚してないですから。私は年に数回福島市に帰りますが、西口の植え込みを計ればいまだに平気で0.50µを超える数値が出ます。側溝や雨どいなどはかなりのセシウムだまりとなっています。
子どもたちが喜んで顔を突っ込みそうなとこばかり高線量。正直空間線量はまんべんなく高くなってきてる。311から1年ほどそんなに高くなかった都心部も今は平気で0.20μが出るようになった。大人も気にしなきゃならない線量の地域もあるんです。もちろん場所に依りますが、要するに除染は出来ないんです。移染です。危険な個所が無くなったんじゃなく動いただけ。残った人が覚悟を決めて内部被曝と戦っている人ばかりかというと、そうではないところが問題を複雑にします。めっちゃ、じゃなくとも少しは危険だ、と声に出して言えない雰囲気に息苦しさを感じます。
正直言うと、たまにきて緑がきれい、風は爽やか、いいとこだ、と感じることは思い出ですからとやかく言いませんが、実際そのきれいだと感じる森などがかなりの高線量区域、だからもう放射能は収まって来ている、除染をすればだいじょぶだあという論調だと、行政がいう飯館や双葉などへの帰村運動に肩入れすることになってしまいます。それは、本当に福島のことを慮ることなのか。
事故当時よりは下がったが、事故前よりははるかに高い線量の地域に半強制的に住まわせることが県民のためになるのかと思います。やはり24時間365日常に放射能と向き合いそこに住む人じゃないとわからない部分はあるんです。自分もそうですが、いい思い出にしたいのに、放射能の事実がいつも思い出に傷を付けます。
翌日は 福島・飯坂温泉・桑折・国見・伊達 ~特定避難勧奨地点っていったい・・?~ でした。
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