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2014年08月15日 | 明日香村を訪ねて

例がない巨大な「階段ピラミッド」の方墳…被葬者は蘇我稲目か 

 

 

2014.8.13 17:08   産経ニュース [westセレクト

 

階段状に石積みされた大型方墳であることが判明した都塚古墳=5日午後3時50分、奈良県明日香村(本社ヘリから)

 

 奈良県明日香村にある飛鳥時代初期(6世紀後半)の都塚(みやこづか)古墳が、一辺40メートル以上の巨大な方墳で、国内に例がない階段ピラミッド状と判明し13日、関西大と村教委が発表した。現場は蘇我氏の拠点地域で、古代朝廷の実力者・蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳に近いことなどから、専門家は「馬子の父で、蘇我氏の権勢の基礎を築いた蘇我稲目の墓の可能性が極めて高い」としている。

 

 都塚古墳は全長12メートル以上の横穴式石室を持ち、内部に凝灰岩の刳(く)り抜き式家形石棺(長さ約2・2メートル)が収められている。これまで墳形は不明で、一辺約28メートルの方墳などと推定されていた。

 

 今回の発掘調査で、新たに築造当初の墳丘裾(すそ)部を3カ所で確認。墳頂部付近の石積みの階段状遺構が4段分(長さ約6メートル)出土し、全体が階段ピラミッド状の東西約41メートル、南北約42メートルの大型方墳とわかった。

 

 1段目は幅約6メートルのテラス状。その上に幅約1メートル、高さ約30~60センチの石積みの階段が4段以上続き、8段以上あったとみられる。石は拳(こぶし)から人頭大の川原石で、古墳の高さは7メートル以上と推定される。北側には周濠跡も見つかった。

 

 国内では岡山県真庭市の大谷1号墳(飛鳥時代)が5段築成の方墳として知られるが、都塚古墳とはやや異なる。高句麗の王陵「将軍塚古墳」(4~5世紀、高さ約13メートル)は階段ピラミッド状で、百済の古墳にも似た形があることから、古代朝鮮がルーツとの見方もある。

明日香村「都塚古墳」都塚古墳の調査で見つかった階段状になっている箇所=5日午後、奈良県明日香村(松永渉平撮影)

 

都塚古墳の石室の内部=5日午後、奈良県明日香村(松永渉平撮影) 

 

奈良県明日香村の都塚古墳(1)。約400メートル北には石舞台古墳(2)があり、甘樫丘(3)も見える

 

 都塚古墳は、馬子の墓との説が強い石舞台古墳(一辺約50メートルの方墳)の南東約400メートルに位置。石舞台古墳そばの島庄(しまのしょう)遺跡からは蘇我氏の邸宅跡とされる大型建物跡も見つかっており、周辺は蘇我氏の拠点とされる。日本書紀によれば、6世紀に活躍した蘇我氏の実力者は馬子の父、稲目。欽明天皇の時代に政権ナンバー2の大臣をつとめ、百済から伝えられた仏教を崇拝。自分の娘3人を天皇に嫁がせ、その後馬子、蝦夷(えみし)、入鹿と3代続く蘇我氏の権勢の基礎を築いた。

 関西大などは、蘇我氏の有力者の墓と推定。泉森皎(こう)・元橿原考古学研究所副所長(考古学)は「馬子以前の6世紀後半に蘇我氏の根拠地といえる場所に、大規模な墓をつくることができるのは稲目しかいない。階段状にしたのは威容を示すためで、蘇我氏の力を見せつけようとしたのだろう。古代飛鳥の歴史を解明する上で、大きな意味を持つ発見だ」と話している。

 

 現地説明会は16日午前10時~午後3時。問い合わせは村教委文化財課((電)0744・54・2001)。

 

 


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