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Más vale prevenir que lamentar.

天草北海岸を東へ  富岡~本渡~宇土

2014年02月11日 | 佐世保・五島・天草・熊本

富岡~本渡~宇土 

 

天草は熊本県の南西部に位置する島々で、周囲を東シナ海・有明海・八代海という3つの海に囲まれています。美しい青い海に浮かぶ大小さまざまな島や緑深い山々などが織り成す雄大な景観をはじめ、季節を問わず一年中楽しむことのできるイルカウォッチングや日本最大級の肉食恐竜の化石が発見された恐竜の島、南蛮文化やキリシタンの歴史を伝える施設などがある、自然と文化に育まれた島です。

 

 

イルカウオッチング

 

通詞島の沖合いでは、愛嬌たっぷりのイルカたちに出会える。温暖な気候の通詞島の周辺は、小あじやイカなどが豊富で、一年中野生のミナミハンドウイルカが群れをなし回遊している珍しい海域。

 

 

 

 おっぱい岩

海水の力によってできたと思われる変形岩で、女性の乳房にそっくりな形。直径は約1.5m。見事な乳首までが付いている。直に触ると「胸が大きくなる」とか、「母乳がたくさん出る」などのご利益も噂されている。また、干潮時にしか姿を現さないので見学の時には潮汐表の確認が必要。

 

サンタマリア館

  かつて東洋と西洋の接点としてキリシタン文化の華が咲き乱れた天草も、やがて苦難の時代へ。このサンタマリア館には、キリシタン衰史を物語る数々の資料が展示され、訪れた人々を昔日へと誘う。
 2Fには、日本中のめずらしい徳利(600本)や、天草土(どろ)人形が展示されている。

 

天草ありあけタコ街道

 タコによるまちづくりの一環として、平成17年7月17日に国道324号の有明区間を「天草ありあけタコ街道」と命名。
 天草でタコが多くとれる夏には、8本足を広げたユーモラスな姿の干しダコが街道沿いの海岸に多く見られ、天草の夏の風物詩となっている。
 街道沿いの飲食店や民宿組合では、地ダコを使ったタコ料理(タコ丼・タコ八料理など)を提供したり、小売店ではタコ関連商品を販売している。
 街道中央のリップルランド前の海岸には、シンボルの巨大タコモニュメントがみなさんをお出迎えしている。

 

天草五橋

天草五橋(あまくさごきょう)とは、熊本県宇土半島先端の三角(みすみ)から、天草諸島の大矢野島、永浦島、池島、前島を経て天草上島までを結ぶ上天草市内の5つの橋の総称で、1966年(昭和41年)9月24日に開通した。

 

 

三角港

 

三角港は西港と東港に別れており、1884年(明治17年)に西港の整備が始められ、1887年(明治20年)に開港した。近代的港湾としては、日本でも最古にあたる。三角西港の建設には国費が投じられ、宮城県の野蒜築港、福井県の三国港とともに明治の三大築港と呼ばれる。

 

1880年(明治13年)、熊本県は坪井川河口の百貫港(現在の熊本市小島・百貫石周辺)を候補地をして内務省に貿易港の建設を申請した。翌年熊本に派遣されたオランダ人水理工師ローウェンホルスト・ムルデルは調査の結果、宇土半島先端のこの地(西港)が百貫港よりも優れた天然の良港であるとして築港を進言。その設計指導の下、1884年から3年の歳月をかけて築港され、かつ町全体に海水を導入して浮町とするために石積み水路が設けられた(地元では水道と呼ばれた)。水路のために町は三区に分かれ、北部から西港一区、二区、三区と呼ばれた。石積み水路は完成したものの、海水が全ての水路まで届かず本来の機能を発揮できなかった。工事は全てを切り出した石材で港を構築した。

 

西港は、埠頭や排水河川、橋などが造られたほか、海沿いには海運倉庫が建ち並び、背後に旅館など洋風の建物からなる街並も造られて繁栄した。昭和初期まで西港には、裁判所、商船学校(旧郡役所)、水産試験場、警察署長官舎、海上保安庁の船舶停泊施設などがあった。昭和初期から中期にかけて、旧郡役所から裁判所に至る通りは桜並木があり、桜の大木が連なって見事な景観であった。今はその面影はない。

 

西港周辺は背後に山が迫り敷地の拡張に難があることから、やがて東港が整備されるようになり、更に1899年(明治32年)に開通した九州鉄道の三角線も東港へ通じる路線であったため、西港は急速に廃れ、物流や人口は東港へと移動していった。

 

1951年(昭和26年)には重要港湾に指定され、1964年(昭和39年)に三角と島原を結ぶフェリーが就航し、1971年(昭和46年)-9m岸壁が1バース延伸されて、ますます機能が充実した。

 

しかし、1966年(昭和41年)に天草五橋が開通して九州本土と天草諸島とが自動車で往来できるようになり、天草への貨物・客船航路は次第に廃止されていった。また、八代港、熊本港等の他の港の機能整備が進展したことにより、人流・物流が分散した。2006年(平成18年)には三角島原フェリーも廃止され、現在三角港から出ている船は御所浦港行きのみであったが、2009年(平成21年4月1日)より、本渡港-前島(上天草市松島)-三角港間に高速船「天草宝島ライン」が就航した。

 

一方、早くに東港に機能が移ってしまったため、西港は石積みの埠頭や水路・橋など当時の施設がほぼ原形のまま残っている全国唯一の港湾史跡として高く評価されている。1987年(昭和62年)に港湾整備事業の指定を受けた。点在していた民家も区画整理で地元を離れ、現在、熊本県は宇城市と協力し、西港の港湾遺跡の保存を柱に周辺の整備や当時の建造物の復元などに取り組んでいる。2002年(平成14年)には国の重要文化財の指定も受けた。2009年(平成21年)に九州・山口の近代化産業遺産群の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載された。


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