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有福教会と若松島の北に連なる島々

2013年10月14日 | 佐世保・五島・天草・熊本
  有福教会の地図です。左が有福島、右下は若松島、右上は日島です。若松島と魚生浦島は赤いアーチ橋で、魚生浦島と有福島、有福島と日島はそれぞれ堤防のような橋で繋がれています。

 

有福教会

 

日島・有福島・漁生浦島 ― 若松島の北に連なる島々

 

 五島列島の一つ若松島の北側に、三つの小島が連なっています。東から、日島(ひのしま)、有福島(ありふくじま)、漁生浦島(りょうぜがうらしま)の三島です。

 


  果ての果てと思っていた日島も、かつては日島の沖が海上交通の表海道となっていて、歴史上何回か大いに栄えたことがありました。小さな島ながら最高点は244m(バンヤノ峠)と高く、島のほとんどが山地です。集落は南の海岸に集中し、外洋に面する北西の海岸は断崖になっています。
 
 
 1956年(昭和31年)までは若松島の西側と漁生浦島、有福島とを行政区域とする日ノ島村の役場が置かれる中心地で、映画館もあり賑わっていたそうです。現在は野生の鹿が多く生息する島として知られています。
  
 
 
 有福島はカトリック信徒が多く、民家に小さな尖塔がのったような教会があります。1817~1829年(文政年間)の頃などに、大村藩の神ノ浦からカトリック信徒が移住し、弾圧を逃れながら信仰を続けていました。 
 
 
 
 かつて有福島には、四つの潜伏キリシタンの集落があり、現在は無人島になっていますが、奈留島の北に浮かぶ葛島(かずらしま)の教会で礼拝するため、有福島の人たちがよく訪れていたそうです。
 
 
 
 現在の公共交通を考えると、いったいどうやって訪れていたのだろうと思ってしまいますが、隠れキリシタンの方々はほとんどが漁師を生業としていましたので、海上をいけば3キロも離れていません。
 
 
 
 明治以降は伝道師らの布教によって、カトリックに復帰。1927(昭和2)年、島の西側に木造で小さいながらも重層屋根を持つ教会堂が建立されました。

 

 

 漁生浦島は難読島名として有名ですが、島の百科事典『シマダス』には、「りょうぜがうらしま」とあります。しかし、地元では、ふつう「りょうせうら」と呼んでいる人が多いといいます。

 
 
 
 
 
  
【日島(ひのしま)】
面積/1.39km2周囲/7km
人口/約50人
【有福島(ありふくじま)】
面積/約3km2周囲/10km
人口/約180人(キリスト教徒約30人)
【漁生浦島(りょうぜがうらしま)】
面積/約0.65km2周囲/4km
人口/約40人

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