藤原鎌足 生誕の地 ~ 岡寺
藤原鎌足
父は中臣御食子、母は大伴夫人(咋子のむすめ智仙娘)。藤氏家伝は長男としていますが、名づけられた名は仲郎といい、この名からすると次男だったのではないかといわれています。
子は定恵(多武峰縁起・略記などによれば実父は孝徳天皇)・不比等(一説に実父は天智天皇)・氷上娘・五百重娘の4子。
のちに中臣連鎌子とします。周の太公望の撰とされる兵法書『六韜』を愛読し、権謀術数を学びました。舒明朝の初め、古代律令制の要職である神祇伯の職を固辞して受けなかったといわれています。
舒明十二年(640)十月、隋から南淵請安が帰国し、中大兄皇子と共に外典の講義を受け、軽皇子(孝徳天皇)とも親交がありました。
皇極四年(645)、中大兄らと図って蘇我入鹿を討殺(乙巳の変)。孝徳天皇即位後、大錦冠を授かり、内臣となって、中大兄と共に国政改革の中枢に参加。
斉明元年(655)、大紫冠(三位)を授かる。同五年、藤原不比等生まれる。天智年間、帝の命により律令を刊定(近江令)。
天智八年(669)十月十五日、自邸に派遣された大海人皇子より大織冠と大臣の位を授かる。また、藤原氏を賜姓される。翌十六日、死去(56歳。紀に引用する日本世記によれば50歳)。家伝には「淡海之第」で亡くなり、山階精舎で葬儀をしたとあります。
万葉集に二首、藤原浜成撰「歌経標式」にも一首「藤原内大臣秋歌」として残しています。
岡寺
奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある真言宗豊山(ぶざん)派に属する寺。東光山竜蓋寺(りゅうがいじ)と号する。663年(天智天皇2)岡本宮を改めて寺とし、天皇より義淵(ぎえん)僧正が賜った。通称岡寺の名で親しまれている。
竜蓋寺の由来は、境内にある小池に義淵が悪竜を法力によって封じ、大石で蓋(ふた)をしたという故事によったもので、義淵開基の五竜寺の一つとされている。当時は法相(ほっそう)宗であったが、久しく荒廃が続き、江戸時代に再興されて現派に属した。
本尊如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)(国の重要文化財)は、西国三十三所観音霊場第7番札所として参詣(さんけい)者の信仰を集めている。
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