猿石・鬼の雪隠・鬼の俎
猿石
孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の聖母にあたる吉備姫王のお墓の前に並べられています。元々はすぐ横にある欽明天皇陵の南側の池田から堀り出されたものなのだそうです。「千と千尋の神隠し」に似たようなのが登場しますが、きっとこれをなぞらえたものなんでしょう。この猿石は左から、女、山王権化、法師、男を表しており、このうちのうち三体には、裏にも顔があるようです。中には入れないので直接見ることができませんが、飛鳥資料館には、複製が置いてあるのでそちらを見て下さい。さらに南東5kmにある高取城跡にはもう一体の猿石があるようなのですが、それは元禄年間にここから発掘されたものが運ばれたようです。誰が何の為に作ったのか全くなぞで、歴史ミステリーとなっています。
鬼の雪隠・鬼の俎
猿石から田んぼのあぜ道をいくと鬼の雪隠(せっちん)呼ばれる石に到着します。元々は古墳の石室の蓋の部分で、封土がなくなり石がむき出しの状態との事、下の写真が鬼のまな板と呼ばれ石室の底板にあたりちょうど鬼の雪隠をひっくり返してで蓋をするように石室があったようです。小高い丘の下と上にあります。この雪隠とはトイレのことで、昔この近くに住む鬼が、霧を降らせて旅人を迷わせ迷った所を捕らえこのまな板の上で料理し、お腹がいっぱいになった所で、 雪隠で用をたしたという伝説があるようです。このあたりは霧ヶ峯と呼ばれ霧がよく発生したころから、こういう風説が人々の間で語られたのでしょう。2つの石は、大化の改新の翌年にあたる646年に作られているようです。残念ながら誰のお墓であったかはわかっていませんが、近年天智天皇の第一皇子で持統天皇の実弟・建王(たけるのみこ)と、建王の祖母・斉明天皇が合葬された可能性が高いと報告されています。
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