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Más vale prevenir que lamentar.

福江港から五島灘へ

2013年11月16日 | 佐世保・五島・天草・熊本

絶えず島影が見えていた佐世保からの航路と違い、出航してまもなくすると、360度島影が見えなくなります。海の真っ只中にいるとなんだか心細い限りですが、違う船とすれ違うとなんだか嬉しくなりました。

 

福江港から五島灘へ

 福江港は、五島市の中枢機能を擁する旧福江市市街地の海岸にあります。旧福江藩の城下町時代から港として用いられ、福江川河口周辺部等に船溜まりが設けられていました。幕末には石田城が港域に面して築城。1932年(昭和7年)より近代港湾としての福江港の整備が始まり、現在に至っています。

 

五島列島の中でも下五島地域の海の表玄関となっています。国道384号の福江島内の陸上区間の終点であり、本港から奈良尾港(中通島・新上五島町)までは海上区間です。

国土交通省九州地方整備局により「みなとオアシス五島福江」として認定されています。

 

九州本島からは博多港および長崎港からフェリーが、長崎港からジェットフォイルが就航しています。また、五島市に属する近隣離島との間に旅客船・フェリーも就航しています。  平成17年に完成した新ターミナルビルには軽食コーナーのほか、五島土産もそろっています。

 

福江島南岸に吹き出た鬼岳火山群は、シンダーコンと呼ばれる珍しい火山です。
500万年前に噴火した楯状火山(アスピーテ)の上に5万年前の臼状火山(ホマーテ)が重なり合ってできたもので、鬼岳、火ノ岳、城岳、箕岳、臼岳からなっています。
その中の鬼岳は、全山芝生に覆われ、古くから市民の行楽地として親しまれてきました。
中腹にある展望所からは、眼下に福江市街、福江港外に点在する島々を望め、訪れる人たちの心を癒してくれる。
周辺は観光施設が整備され、福江島観光の拠点になっています。

 

鐙瀬公園

鬼岳火山から流出した溶岩が、青く澄み切った海に延々7Kにわたって流れ込み、変化に富んだ海岸線を形づくっている。
温暖な無霜地地帯で、至る所に亜熱帯植物が繁茂し、情熱的な花木が咲き乱れ、美しい景観を呈している。
永正4年(1507)、第16代領主囲公が、妹婿の玉之浦納に攻められた際、馬でこの地まで逃げたが、鐙がきれ、小舟で沖にある黒島に落ちのびたが反逆党は黒島に迫り、公は自刃した。
以来、鐙瀬と呼ばれるようになったという。

 

堂崎天主堂

五島市堂崎の海岸近くに建つ赤レンガの美しい教会。
明治41年(1908)、ペルー神父が建設した五島最古の洋風教会で、五島カトリックのシンボル的存在。
敷地内にはマルマン神父や布教に尽くした人々の遺徳を讃える記念碑、レリーフ、聖ヨハネ五島の像などがある。
教会はキリシタン資料館になっており、キリシタン迫害の際の攻具や、密かに信仰を守ったマリア観音、オラショなどが展示されている。
ドロ神父の作と言われる木版画は、県の文化財に指定されており、建物そのものも県の文化財。
また、この教会にはチャペルがなく、ホラ貝で信者にミサを告げたといわれている。

 

浦頭教会

明治21年(1888)浦頭に民家を改造した聖堂が建設された。
狭くて信徒が入りきれなかったため昭和25年(1950)、この聖堂を取り囲んだ形で増築したが、五島の信仰の拠点であった堂崎教会が古くなり、信徒たちの間で統合的な教会の建設をという気運が高まり、昭和43年(1968)に現在の教会が建設された。
県指定有形文化財の「聖教木版画」(筆彩3幅)は浦頭教会の所有であるが、実物は堂崎教会内のキリシタン資料館に展示され、広く市民、観光客の鑑賞に供されている。
ノアの箱船をイメージして建てられたと言われている。

 

海城・福江城

石高1万2600石の五島藩主の居城跡。
江川町にあった江川城が炎上し、石田の浜に1638年、石田陣屋を築いた。
その後、異国船の往来が頻繁となり、海防上の必要から石田陣屋の改築が建議され、築城を幕府に願い出た。

嘉永2年(1849)に築城許可がおり、31代盛徳の文久3年(1863)6月、15年の歳月と延べ5万人の労働者、2万両の工費を使って完成し、城郭は東西291M、周囲2246Mで城壁の三方を海に囲まれた日本唯一の海城である。
江戸幕府最後に築かれた、最も新しい城であるが、間もなく明治維新となり、築城9年にして解体された。
現在は本丸跡に五島高等学校、二の丸跡には五島家の祖を祭る城山神社をはじめ、文化会舘、観光歴史資料舘、図書館が建ち並び、城郭の西端には横町口蹴出門と石橋、そして城壁や濠が姿を残し往時を偲ばせている。

 

六角井戸

倭寇の頭目・王直が、当時深江と呼ばれていた福江に来航し、藩主に通商を求めたのは天文9年(1540)である。 江川城主第17代宇久盛定は、海外貿易の必要を認め、財政再建のため通商上の黙約を結んだ。
そして彼らに居住地(現在の唐人町)を与え、更に飲料、船舶用水として江川城本丸下に井戸を掘らせた。これが六角井戸である。
平戸市にある六角井より早く造られたこの井戸は、井戸枠(広いところで125センチ)を六角形に板石で囲み、井戸の中も水面下まで六角形の井壁が板石で造られているので、ちょうど六角柱を地中に立てたような形になっている。
五島における倭寇時代の貴重な遺跡の一つである。

 

かんころもち

整形

  • カンコロとは、五島の方言で、サツマイモを薄く切って天日干ししたものを言います。
  • そのカンコロを蒸して、餅米、砂糖、ゴマなどを混ぜて一緒についたのがカンコロ餅です。
  • つきたてはそのままでも食べることができますが、堅くなったら1センチほどに切って、軽く焼いて食べると香ばしく美味です。
  • 繊維質を多く含んだ自然食品として人気が高いお餅です。

 

からすみ

塩抜きした後、天日に干す

  • 江戸時代、三河のこのわた・越前のウニとともに、長崎のからすみは「天下の三珍味」といわれました。
  • 形が、唐の墨に似ているから、カラスミと呼ばれました。
  • 五島富江湾周辺で獲れるマボラは1本、3~4キロから6キロにもなり日本最大です。
  • カラスミの原料になる卵巣も、平均400gと大きく、1kgを越す物は、上質のカラスミになります。
  • 長さ20cm程のカキ色をした卵巣を取り出し、丹念に水洗いし、塩をまぶしながら樽に漬け込んでいきます。
  • その後、塩抜きした後、天日に干し、加工して琥珀色の「カラスミ」になります。

五島市観光協会 http://www.gotokanko.jp/index.htm

 

五島灘

 長崎県の九州本島(本土)と五島列島の間にある海域(灘)。一般的には長崎半島・西彼杵半島・大島・江島・平島・五島列島で囲まれた海域を指す。面積は約3,600平方km。(佐世保湾の沖から五島列島の北部まで、平戸島以南の海域も含まれることもある。)

海底は水深50~200mで南方にゆるやかに傾斜し、天草灘を経て東シナ海につながる。西彼杵半島沿岸海域には角力灘(すもうなだ)の別称がある。

灘には暖流の対馬海流が流入し、天然岩礁が多く好漁場として知られる。主にイワシ・アジ・サバなどが獲れ、巻き網漁業が盛んに行われている。

 


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