二面石とマラ石
マラ石(明日香村祝戸)
国営飛鳥歴史公園祝戸地区への入口付近にあり、男性の陰茎を思わせる石が斜めに突き立っています。仏教考古学者の石田茂作によりマラ石と命名されました。宮域を示すための標石、橋脚として利用されたなどの説が出されているが確かな用途は不明。
稲渕宮殿跡
稲渕宮殿跡は、1977年の発掘調査で4棟のコの字型の建物跡と、それに囲まれた石敷きの広場が確認されています。
前後(南北)に並ぶ2棟の主殿を中心にして、東西に棟を揃えた2棟の脇殿を配置しています。正殿は4面に庇を持っており、推定規模で正面24.6m奥行き10.2mになります。中庭には大型の敷石を敷きつめるなど、一般の施設ではない様相を示しています。
飛鳥河辺行宮跡であろうと推定されていますが、確定されていません。現在では、祝戸荘利用者の駐車場になっています。
日本書紀の孝徳天皇 白雉4年の条には、
「 大化改新の後、難波長柄豊碕宮に遷都した孝徳天皇に対して、皇太子中大兄皇子が「倭の京」に移りたいと奏上したが許されず、皇祖母尊(皇極天皇)や皇后(間人皇女)、そして、皇弟(大海人皇子)らと共に、倭飛鳥河辺行宮に入った。・・・・・公卿大夫や百官の人々も太子に従って倭に移った。 」
とあります。行宮は仮の宮であって、皇極天皇が斉明天皇として、飛鳥板蓋宮で重祚するまでの1年余の間存在したものとされています。
遺跡は稲渕の棚田の北端にあたるのですが、
平坦に整地したかのような印象を与える空間が、発掘地よりさらに南に伸びています。
一連の建物群は西・南へ続いていることが予想されています。
飛鳥河辺行宮の比定地は、ここの他にも飛鳥寺の南や川原寺の付近など、
数箇所あることを上げておきます。
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二面石
橘寺境内にある、善面と悪面2つの顔をもつ石造物。
姿かたちから、吉備姫王墓に置かれる猿石と同じ場所から掘り出されたと考えられています。高さは1.24m。
吉備姫王墓にある猿石の、4体のうち3体に顔が2つあることも、それぞれが同じ場所から掘り出されたと考えられる理由の一つです。
無垢な顔つきの善面と、大きくゆがめられた悪面の対比が目を引く謎の石造物。
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