三重県に住み、報道などを見ていると、東日本大震災や東電福島第一原発事故からの復興は順調に進んでいて、帰還困難区域以外の土地は避難指示が解除され、人々の生活が戻ってきているとの印象を受けるが、実際はどうなのだろう?
2019年6月のとある金曜日。自分の目で確かめるため、仕事を早めの切り上げ、新幹線で東へと向かいました。
品川で特急ひたちに乗り換え、夕方6時過ぎに、いわきに到着。バスで移動しレンタカーを借り、雨の常磐道を北上。
どこにでもある高速道路を走っている感じがしていましたが、かつて避難指示区域だった広野町に入ると、放射線量の表示施設があらわれ、少しずつ緊張してきました。放射線量の表示は、広野町で毎時0.1μsvの表示でしたが、楢葉0.4➝富岡1.2➝大熊0.6➝双葉2.6➝浪江0.6➝小高0.2➝原町0.1 と推移しました。
(6号線の表示は、双葉 毎時0.812μsvと0.437 大熊2.017 夜ノ森0.51 富岡0.202)
常磐道を降り、1年ぶりに南相馬市原町に入りました。昨年地元の方に、沢山の人が車中泊をしている道の駅があると教えてもらい、今年もそこで車中泊しようと思い、まずは近くの日帰り温泉へ。向かいにはコンビニもあり、確かに便利。道の駅には洗面所や自販機、トイレもあるので、少々寝苦しいのさえ我慢すれば、不自由しません。
昨年に比べて、止まっている車の数は増えていました。30数台だったのが50台近く。福島やいわきといった県内ナンバーが約半数。いったいどういう事情でみなさん車中泊をしているのでしょう。なかにはキャンピングカーやワゴン車に家財道具を載せている人もいます。自宅や仮設に居られない事情がなにかあるのでしょうか?それともホームレスとなってしまった方がここを利用しているのでしょうか。さすがにインタビューなどできるはずもなく、翌早朝にこの道の駅を後にしました。
この日は、午後からいわきでのイベントに参加するため、半日しか時間が取れませんでしたが、浜通りを南下しながら、いろんな街の状況を見ることができました。
遠く離れて住んでいると、福島県と一括りにして考えてしまいがちですが、福島県内各地でかなりの違いがあり、もう一見何事もなかったかのような日常が戻っている場所が多くある中で、一部の地域では放射能の影響が強かったため、津波や地震で廃墟となってしまった建物などがそのまま放置されている場所もあります。
そうです。この場所は地球上で初めて、地震・津波そして放射能汚染の複合災害に見舞われ、いまだに復興途上、あるいはようやく廃墟の片づけが始まったばかりという地域さえあります。私たちは人類が起こしてしまった複合災害のその後を見つめ、二度とこのような災害が起こらないように記憶に残していく必要があるのではないでしょうか。
では、それぞれの街の様子に触れていきたいと思います。
南相馬市原町区
地元の方が、中心部は震災前よりも活気があるかも?と言われていました。暗くなってからも駅前の通りなどは人通りが絶えませんし、いかにも地方の中心都市といった雰囲気でした。海岸部に行くともう堤防工事はほぼ終わり、かつて田んぼが広がっていた場所は、ほとんどが津波で土砂が流れ込み、耕作できなくなっていますが、これから圃場整備が始まります。いたるところにソーラーパネルが設置されていて、これからの工事の準備がなされている場所もありました。国道6号線と太田川が交わるあたりにある、除染作業で出た放射性物資の大規模な仮置き場は、昨年に比べて縮小されているように感じましたが、まだ大量のフレコンバッグが雨ざらしになっています。
南相馬市小高区
まだまだ帰還されている方が少なく、街は閑散としていました。海岸部はようやく堤防が完成し、河川の堤防整備とともに、これからようやく広大な土地の圃場整備が始まります。原町区と違って、ソーラーパネルは見当らず、その点でも原町区と違い、復興が遅れている感じがしました。海岸部の井田川・浦尻地区では41名が津波の犠牲となり、約3キロ内陸の6号線まで津波が到達しました。いまだに破壊された住宅が放置されている場所もあります。海岸沿いを南の浪江町へ抜ける「広野小高線」は通行止めのままです(いまはロボットテストフィールド建設のためとなっています)。
浪江町
2年前の2017年3月に避難指示が解除され、中心部は駅も再開。仮設の商店街などもありますが、帰還された方が少なく、朝というのもあると思いますが、住民の方よりも工事関係者の姿が多く見られました。国道6号線沿いの大型施設も、廃墟になっているか、建設業者の工事事務所となっているかで、やはり商業施設の再開は難しいようです。海岸部は放射能の影響か復興が遅れていて、ようやく緒に就いた感じがします。堤防も海岸部はほぼ完成していますが、河川はこれから。請戸地区も津波の被害にあった建物の撤去が、ようやく進んできた感じで、請戸小学校は保存が決まったものの、まだ未整備です。漁港もまだまだ工事中です。
双葉町
ただ一つ全町避難が続いていて、復興拠点や起工式が行われた祈念施設も、まだまだ造成工事が始まったばかりで、津波で被災された建物はまだ放置されているものが多く見られました。6号線沿いは、廃墟の施設が多く、工事作業車のためのガソリンスタンドが2件営業しているだけで、人影もまばらです。来春に一部避難解除するようですが、しばらくは住みにくい状況が続きそうです。
大熊町
この春に一部地域の避難を解除したものの、かつて人口が集中していた、大野地区と熊地区は、放射線量が高いため避難解除をする事ができず、もともとあまり人が住んでいなかった山間部を復興拠点として整備したものの、住んでいるのは復興拠点に隣接する社宅に住んでいる東電社員がほとんどで、帰還した方はわずかとなっています。店も仮設のコンビニが一件のみ。大熊町もまた、見通しは暗く、大変そうです。
富岡町
2017年に避難指示が解除され、役場がもともとあった高台に箱ものが新たに建てられ、新住民も増えているものの、まだ震災前の1割ほどしか人口が戻っていません。夜ノ森地区には避難解除した地域と帰還困難区域が道路を挟んで隣接している地区もある。震災時に20メートルの津波に襲われたものの、ようやく完成した海岸の堤防の高さは10メートルに満たず、その海岸近くに駅を再開し、津波で浸水した地区に復興住宅を建てるという、不可解な復興政策を取っている。(ほかの自治体は、津波浸水地区には住宅は建てていない。)
楢葉町
比較的早く(2015年)に避難指示が解除され、住民も比較的順調に戻っています(約5割)。工業団地には原発関連施設が立ち並び、道路工事やJヴィレッジ関連施設と町のあちらこちらで工事が行われています。さらに竜田駅周辺や役場南側の北田地区を再開発し、住宅やショッピングセンター・交流センターができて、住環境は随分整ってきたようです。人々も多く行き交い、交流センターでは若い世代の方たちが活発な議論をしていて、街中に活気が戻ってきているように感じました。放射性物質の仮置き場が、住宅や田んぼに隣接していて、私としてはとても気になりました。
福島ロボットテストフィールド の建設が始まっています。
福島イノベーション・コースト構想に基づき整備する「福島ロボットテストフィールド」は、物流、インフラ点検、大規模災害などに活用が期待される無人航空機、災害対応ロボット、自動運転ロボット、水中探査ロボットといった陸・海・空のフィールドロボットを主対象に、実際の使用環境を拠点内で再現しながら研究開発、実証試験、性能評価、操縦訓練を行うことができる、世界に類を見ない一大研究開発拠点です。
本拠点は、南相馬市・復興工業団地内の東西約1,000m、南北約500mの敷地内に「無人航空機エリア」、「インフラ点検・災害対応エリア」、「水中・水上ロボットエリア」、「開発基盤エリア」を設けるとともに、浪江町・棚塩産業団地内に長距離飛行試験のための滑走路を整備する計画であり、2019年度末全面開所を予定しています。
福島第一原発事故から8年。雨の福島浜通り。
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