<歩いたところのH30年の航空写真>
●歩いた日:2023年9月5日(火)
●歩いた所
・国見(横沢):新山、八幡前、大動防、高野、扇畑、榊原、桜佐幣神、桜後、川端、柳原、夏瀬
●歩いたログ(足跡)(道のり5.5km)
(以上の地図:国土地理院)
最後に、いつものように歩いたところの航空写真をご覧いただく。まずは最近のH30年の写真。
中断左端、「P」が車を停めた「八幡前生活改善センター」の場所。そこをスタートして緑線が今回歩いた道筋。
左下に、やや斜めに走る道沿いに「大動防」の家々が建ち並ぶ。この道、「東長野橋」から南にまっすぐ延びる新しい道と微妙に方向が異なっているのが面白い。昔の道がなぜこの方向なのか、この後、古い航空写真を見ると、なんとなく想像がつく。
写真に1から9の番号を書き入れた。これは、この後に見る、田んぼが未整備で道筋が今と大きく異なっている昔の航空写真と対比しやすくするために書き入れたものである。
道筋が大きく異なる一例として、「県道259号」に注目いただきたい。現在の「県道259号」は中段左端から「1」の十字路を通って南に向かい、その後直角に折れて東に向かっているが、昔の航空写真を見ると、「2」から「5」の各地点そばを通る橙色の線を走っていたことがわかる。また、今回歩いた緑色の線のほとんどが、田んぼの区画整備後の新しい道であることもわかる。
中央右上、「8」のところをご覧いただきたい。「8」の字のすぐ右に見える「扇畑会館」と、その右下に見える、📸009に写る桜の木3本と横長の広場に留意しておいてほしい。
右上隅、「斉内川橋」付近をご覧いただきたい。「古い道跡」と示したところは、本文で写真を掲げた、以前の「県道11号」の道跡である。「斉内川橋」のところで県道が微妙に東(右)側に膨らんでいることから分かるように、古い道跡の延長線上にあった橋が、すぐ東側に架け替えられたものである。今後架け替える時は、元の位置に戻すのだろうか。
次にS50年の写真。
不整形の田んぼが広がる。上端にのぞく旧「中仙町」の田んぼはすでに整備されており、旧「太田町」のこの地域(「国見」)は整備が遅れたようだ。
中段左端、「P」が車を停めた「八幡前生活改善センター」の場所。
H30年の写真のところで書いたように、「県道259号」は「1」の地点からずっと南東に延びている。現在の道筋は橙色の線である。
黄色線は今回歩いた道筋である。当時はまったく異なった道筋で家々や集落が結ばれている。「1」の十字路から「6」に延びる道の先をたどってみると・・・。「6」のすぐ北で二手に道が分かれており、東に向かう道は「8」、現在「扇畑会館」がある集落にまっすぐ延びており、北に向かう道は「八幡神社」の方に延びている。
「大動防」の道だけは、道筋が家並になっていることからそのまま残されたようだ。
「8」のところをご覧いただきたい。「8」の東側、現在「扇畑会館」が建ち、桜の木が植えられている広場を、📸009のところで「何か謂れのある土地だろうか」と書いたが、当時は家々に挟まれた田んぼだったことがわかる。
右上、「斉内川橋」付近の「県道11号」を見ていただきたい。川の北側と南側の県道のまっすぐ延長線上に橋がかかっている。かけ替え前の橋である。
上端中央に「斉内川」の蛇行跡がくっきり残っている。川が改修されて間もないころのようだ。
最後にS23年の写真である。
S50年の写真と比べると、木立がかなり多いものの、たんぼの区画形状、道路や水路の状況はほとんど同じである。
S23年当時、「県道11号」の東側は大半が水不足ため田んぼが拓かれず、原野や畑が広がっていた。しかし、「国見」のこの辺はすでに田んぼが広がっている。これは、「江戸時代」に開削された「上堰」、「下堰」によって田んぼが拓かれたためである。その「下堰」は、調べると、「斉内川」のすぐ北にある「水神社」のそばを通って(「下堰」開削工事の時に偶然発掘されたのが国宝の御神鏡。「旧中仙町豊川を往く―2」を参照)南下し、川を横断して写真に写る「下堰?」と記入した南西に延びる水路のようである。S50年にも「下堰」の名残は確認することができる。
なお、「上堰」は「下堰」のすぐ東側を通っていたようである。
上端、「斉内川」は北に大きく蛇行している。この部分はショートカットされ、この場所には現在、H30年の写真に見える大きな工場のような建物が建つ。
右端に南北に走る「県道11号」が写る。📸010のところで、「桜後」、「桜佐幣神」辺りは、かつては桜並木が形成されて近隣の町や村の名所になっていたが、道路拡張のために取り払われたらしい、と書いた。写真には桜並木らしいところは見えないので、S23年よりも以前に桜の木は切り倒されたようだ。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:611.2km)
年を重ねるに従って、ブログを掲載する間隔が間遠になってきましたが、頑張って続けていきたいと思います。次回も「斉内川」をさらに遡ったところで、旧「太田町」の「国見」と「斉内」を歩いた記事になります。
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