<昭和51年の「一丈木」付近の航空写真>
●歩いた日:2019年6月4日(火)
●歩いた所
・本堂城回:若林、馬場
・土崎 :上野乙
・千屋 :上向野
・浪花 :南荒井
●歩いたログ(足跡)(道のり6.0km)
(以上の地図:国土地理院)
地図を見ると、開拓記念の石碑(📷011)のすぐ西を南北に走る道がある。県道から右折してその道を北に進む。
(「第一暁」の入植地)
まっすぐな道沿いに広い屋敷の家が規則的に建ち並ぶ。先に道を通し、その道沿いに入植者が家を建て並べた開拓地であることが一目瞭然である。ブログの最後に、S23年の航空写真をご覧いただくが、入植した人たちの当時の家や周辺の土地の状況がわかって、非常に興味深い。
しばらく北に進むと、スタート直後に「一丈木」に向かった道のすぐ手前で左手から幅広い道が合流する。その角で再び「一丈木」方面にカメラを向ける。
📷012:再び「若林」から「一丈木」方面を望む
中央の少し高いところを走る道が「一丈木」に向かった道。その道を途中で左に折れて、その奥に広がる一段と黒っぽい杉林の左端辺り(「暁稲荷神社」)から並木道を五差路に向かった。
手前の田んぼは細かく耕しただけで水が張られていない。これから転作の大豆でも植えるのであろう。
角から西に向かう。両側に工場の建っており、この広い道は工業団地整備の一環として造られた道のようだ。右手の「真昼荘」の脇を過ぎると県道「角六線」に出る。
📷013:「真昼荘」付近の県道「角六線」
青地に白い文字の看板がかかるところが「真昼荘」の入口。「真昼荘」は「若林」、その向かい、道の左側は「馬場」で、いずれも大字は「本堂城回」である。
バスのすぐ右手に白い壁の建物がのぞく。「トイレパークほんどう」のトイレで、私が車を止めた場所。昼近くなったので急いで家に向かう。
最後に恒例の航空写真をご覧いただく。まずはS51年の写真。
(S51年)
中央の「一丈木」の木立群、並木がドーンと目に飛び込んでくるが、ここについては後で書くことにする。
各集落の周りは、まだ大半が10a区画のようであるが、一面の田んぼである。
左端に南北に走る県道「角六線」が写る。左上隅が車を置いたすぐそばの「若林」の県道十字路である。石碑が建ち、「トイレパーク」になっているところはすでに小さな公園のようになっている。しかし、現在「真昼荘」が建ち、また工場が何棟が建っている、その南東側一帯は畑のような状態で、建物はほとんどない。
「角六線」の東側を南北に走る道沿いに、「第一暁」の入植者の家が並ぶ。数えてみると23戸程である。周辺の土地を一面の田んぼにするという、入植者たちの夢が実現した姿である。「一丈木」を南北に縦断して延びる「田沢疎水」の恵みである。
(その7に続く)
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