<「下野際」の風景>
●歩いた日:2023年5月3日(水)
●歩いた所
・野荒町:伊豆林、前谷地、篭林、篭林後、町ノ内
・境 田:篭林
・金 沢:下野際、中野際、上野際、南明田地、碇、狐森、中谷地、味噌森、高畑、寺田
●歩いたログ(足跡)(道のり7.9km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷006の地点から)さらに東に進み、「国道13号」に出る少し手前で振り返る。
📸007:「町ノ内」の一角
写る家は「町ノ内」。「町ノ内」は多くの家々が建ち並ぶ「国道13号」の沿線を含む地域で、いかにも「野荒町」の中心部を意味するような地名だ。
なお、「野荒町」は「野荒」という「町」ではなく、元々は「野荒町」という「村」である。紛らわしい。
「国道13号」に出て右折し、南に向かう。「出川」にかかる橋のたもとで振り返る。
📸008:「町ノ内」付近の「国道13号」
信号の少し奥で左手から国道に出、手前に来たところ。
写真のように国道沿いには家々が連なっている。ここは旧「羽州街道」の道筋に当たるが、昔(「江戸時代」)からこうした家並が形成されていたのだろうか。ただ、店舗などがある街並みではない。
同じ場所から反対の南方面を望む。
(「町ノ内」付近の「国道13号」2)
奥に青い案内標識の左下に大きな看板が立つ。小さくてよく見えないが、「納豆発祥の地 美郷町 古戦場の古代ロマンの里」と書いてある。「美郷町」とあるが、旧「金沢町(村)」のPR看板だ。
「古戦場」とは、以前のブログで触れた「後三年の役」の戦場のこと。「納豆発祥の地」とは、「後三年の役」の時、兵士が糧食として、煮た大豆を藁づと(藁で作った入れ物)に入れて持ち歩いていたら納豆ができていた、という言い伝えから出たもの。
なお、看板には「株式会社 ヤマダフーズ」の文字も見える。「ヤマダフーズ」は「野荒町」で起業し、現在は全国有数の納豆メーカーに成長した会社で、ログ地図の「国道13号」沿いにひと際大きく表示されている建物が社屋である。
「出川」にかかる橋から少し引き返す。もう一度📸008をご覧いただきたい。青い案内標識が示す「下野際・上野際」を目指して、そこを右に折れて「出川」のすぐ北側の道を東に向かう。「町ノ内」から「下野際」に入ってしばらく行ったところで行く手を望む。
📸009:「下野際」の風景
「下野際」は大きな集落で、道の両側に家々が建ち並ぶ。
さらに進んで「中野際」に入ったところで、道端にみごとな色合いの庭木(この写真にも道奥左手に赤っぽく写っている)に目を奪われる。
(「中野際」の一角)
近づいて見ると、新葉を出したばかりの、2本の「モミジ」である。「春紅葉(春モミジ)」は春先の里山などで目にすることはあるが、こんな見事な色合いの、しかも品種による違いなのだろうか、2色で対になっている「春紅葉」は初めて見る光景だ。
ところで、「モミジ」に目を奪われて最初は気付かなかったが、左端の建物が何か変である。正面から見ると・・・。
(「中野際」の一角2)
板壁?を見ていると、目が回るような感じがする。どうしてこのような板張りにしたのだろうか。
木材を収納する小屋のようなので、風通しを良くするために間隔を空けて板を張ったようだ。しかし、上の方はなぜ斜めに張ったのだろう?。遊び心を発揮したのかな!。でも、板の古びた風合とあいまって、これはこれでなかなか趣がある。
(④に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます