<「新谷地小萱場の一角」>
●歩いた日:2021年3月20日(土)
●歩いた所
・新谷地(四ツ屋):丹波窪、千刈久保、虎ノ口、小萱場、吉清館、上台、水吞場
・四ツ屋(四ツ屋):下原野、上原野、水吞場
・花館 :上大戸
※「水吞場」は、「新谷地字水吞場」と「四ツ屋字水吞場」がある。
●歩いたログ(足跡)(道のり4.3km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷05近くの)丁字路を左に折れて少し進む。
📷06:「上原野」の風景
右手から来て、水路に架かる橋を渡って手前に来たところ。立っている辺りは「虎ノ口」、写る家々は「上原野」である。
写真の道を奥に進み、「国道105号」を横断すると「四ツ屋小学校」の裏手に至る。
葉を落とした大きな木が写るが、「四ツ屋を往く-6」で写真を掲げたケヤキの大木である。
同じ場所から反対側に目をやる。
(「小萱場」の一角)
奥に細い道が見える。現在の広い道ができる前の古い道のようだ。
右手に平屋の建物がある。今は「四ツ屋小学校」のすぐそばに移転しているが、「新谷地の医者」として地域の人々に親しまれている「高階医院」は移転する前はここにあった。
細い道を少し行くと、これまた細い道が右手に延びているのでその道を進む。「白山神社」の参道入口にでる。
📷07:「白山神社」参道入口
鳥居の扁額と石柱に「白山神社」とある。参道奥に冬囲いされた本殿がのぞく。以前のブログにも書いたが、「白山神社」は「四ツ屋」の記録で最も古い神社のようだ。
手前にある大きな切り株に、丁寧に円盤の覆いを載せてあるのは珍しい。地域のシンボルのような大切な木だったので、切り株も大事にしているのだろう。
道脇に石碑が建ち並ぶ。その中に「新谷地」の歴史に関わる石碑がある。
(「三百年祭之碑」)
まだ新しい石碑に「佐藤清右衛門 三百年祭之碑」と刻まれている。その裏を見ると、彼の功績が記されてある。
(「三百年祭之碑」-裏)
これによると彼は、「寛永年間(江戸時代初期)に佐藤家初代先祖としてこの地に定住し、開墾等の地域開発に尽力」、「養老元年草創の新谷地村の中興を果たし」たとある。「養老」というと「奈良時代」であり、「新谷地」は1,300年程の歴史があることになる。驚いた。!!。
(その4に続く)
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