ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村飯詰・金沢西根を往く-2(③)

2023年02月10日 | 旧仙南村を往く

<「南中島」の風景>

●歩いた日:2022年11月29日(火)

●歩いた所

 ・飯詰(飯詰):南中島、北中島、糠渕、上鶴田、中鶴田

 ・金沢西根   :上百目木、下町田、中町田、上糠渕、下糠渕

●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)


 

(以上の地図:国土地理院)

 「町田踏切」(📷005の地点)を越えて少し行くと、川沿いの道に突き当たる。その川はログ地図にあるように「厨川」である。突き当たった道の向こう側に立派は石碑が建つ。

(「上町田」の石碑)

 石碑には「厨川改修工事竣工記念碑」とある。大きな記念碑で、改修工事に対する地域の人々の切実さのようなものを感じる。

 すぐ後ろがその「厨川」。石碑の裏に回って見ると、「厨川概況」と題して改修工事の経緯が刻まれている。

 それによると、S40年7月の集中豪雨で土石流が発生し、多くの水田が泥土化したため、災害復旧事業及び河川改修事業によって護岸を築き、水田を復元した、とある。

 これを書いていて思い出したことがある。

 高校に入って間もない頃(一年生の時)である。激しい雨のため、「横手川」の水が街にあふれ出したほか、通学していた「奥羽本線」の列車、国道を走るバスが完全にストップした。このため、登校はしたものの家に帰れなくなってしまい、急遽、学校(たぶん合宿所)に泊ったことがあった。その雨がこの石碑に刻まれているS40年7月の集中豪雨である。

 私は学校に泊ったが、後日話を聞くと、午後から臨時休校になり、雨も止んできたこともあり、「大曲」から「横手」に通学している何人もの生徒が、20km以上の道のりを歩いて帰ったということである。私は歩いて帰ることは考えもしなかった。

 石碑のある丁字路から「厨川」沿いに北に向かう。すぐ川にかかる橋がある。

📸006:「中島大橋」から下流を望む

 橋は「中島大橋」である。この辺りは「厨川」が旧「金沢西根村」と旧「飯詰村」の境になる。

 下流を望むと川の左(南)側が旧「金沢西根村」の「中町田」、右(北)側が旧「飯詰村」の「南中島」。

 「厨川」はこのすぐ下流で「出川」と合流する。川の奥に「出川」の堤防が見える。

 橋の欄干に目をやる。

(「中島大橋」の欄干)

 橋の欄干にこんな図案がはめ込まれている。菖蒲?、アヤメ?。爽やかないい感じ。

 橋を渡り切ったところで行く手(北)を望む。

(「南中島」の一角)

 「厨川」と「出川」に挟まれたこの一帯は「南中島」。「地名へのいざない」によると、「中島」は河川の中州の意、とある。ここはその典型のような土地柄である。

 奥に見える青い案内標識の下に、「出川」にかかる黒っぽい欄干の橋が写る。

 右端、カーブミラーのところで右手から来る道が合流している。その道奥をのぞくと立派な蔵と大きな松の木が見えるので、そちらに向かう。

(「南中島」の一角2)

 道から少し奥まったところに蔵が建ち、その脇にかなり樹齢を重ねた松が生い茂る。奥に見える建物が母屋のようだ。見るからに広い屋敷を持つ旧家だ。

 さらに東にしばらく行って振り返る。

(「南中島」の風景)

 左端に、前掲写真に写る蔵と松の木が写る。中央が屋敷林の中に建つ母屋である。手前のきれいに草刈りされた広大な土地も屋敷のうちなのだろうか。航空写真で昔のたたずまいを見てみたい。

(④に続く)


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