ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町豊川を往く-2(その4)

2019年11月19日 | 旧中仙町を往く

<「豊川観音堂」の「水神社」参道入口>

●歩いた日:2019年10月11日(金)

●歩いた所

  ・東長野:町後

  ・豊 受:真土、伊勢堂、下八丁堀、上八丁堀、久保、街道添、元畑、米沢、斉内道下、観音堂、治内野、川端街道下

●歩いたログ(足跡)(道のり5.6km)

(以上の地図:国土地理院)

 写真を撮った📷008のところから南に向かうと、右手奥のひと際大きな木立の下に小さな蔵のよう建物と赤い屋根がのぞかれる。

(「水神社」を東側からのぞく)

 地図には「水神社」の表記はあるが、その具体的な場所がわからない。白い蔵のような建物をみて、これがニュースか何かで見た記憶のある「水神社」の建物の一つに違いないと思い、赤い屋根とあいまって、ここが「水神社」であると確信する。

 ということで、ぐるっと回ってまた県道に出、神社参道の入口に立つ。

📷009:「水神社」の参道入口

 「水神社」の参道である。この神社は「秋田県」唯一の国宝である「鏡」がご神体として祀られている。参道両側に見事な杉木立が連なり、鳥居の右脇に「国宝御神鏡」と刻まれた石柱、左脇には「鎮座三百年奉祝記念」の石柱が建つ。さらに鳥居の右奥には参道の杉の一部が「大仙市指定文化財」であることを示す標柱、左奥には「菅江真澄の道」の標柱も建つ。見るからに歴史と由緒のある神社の趣である。

 国宝の「鏡」は1677年、というと「江戸時代」の初め、水路を引く工事をしている時に地中から発掘されたもので、「平安時代」後期に造られたものらしい。「水神社」、「御神鏡」の詳しい由来を書いた説明板の写真を掲げるので、興味ある方はお読みいただきたい。

 参道を奥へ進んで、もう一つの鳥居前から社殿にカメラを向ける。

(「水神社」の社殿)

  薄暗い参道を進んでいくと、屋根に日射しを受けて、神々しい?感じの社殿が目の前に現れてくる。東から望んだときに見えた白壁の小さな建物は、社殿の真後ろにあるようだ。

 ところで、参道の一番奥にある両脇2本の杉と、前掲写真に写る、参道入口の一番手前にある両脇2本の杉が、そのほかの杉に比べて特別太いことがわかる。実は「文化財」に指定されている杉はこの4本である。説明によると、「鏡」が発掘された翌年に神社が建立され、さらにその翌年には参道の両側に杉が植えられた。しかし、S18年に、戦時の造船用材として大部分の杉が伐採され、残された杉のうちこの4本は、植えられた年代がはっきりしていることから「文化財」に指定された、とある。4本の杉は1679年に植えられたことになるので、樹齢は340年である。

 「水神社」の境内から再び県道11号に引き返す。県道のすぐ西側を南北に走る道を歩きたいと思い、県道を南にほんの少し進んで西に折れ、すぐ左折して南に向かう。

📷010:「上八丁堀」の道

 右奥の大きな木立は「水神社」参道の杉並木である。そこから、道右手奥の白い壁の建物のところに出て、手前に来たところ。整備された道ではあるが、県道のような車も往来もなく、ゆったり・のんびりしたたたずまいである。

 道の西側(写真で左手)には広々とした屋敷を持つ家が連なっていることから、今の県道よりもこちらが古い道で、その道に沿ってこの辺の集落が形成されたように推測される。

 道の奥に自転車を押したおばあさんが小さく写る。先ほど、私が通りかかった時は道端でもう一人のおばあさんと熱心に話し込んでいたが、話終わって帰るところのようだ。

(その5に続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★2019冬本番間近、雪化粧の山々 | トップ | ★2019薪ストーブの焚き初め »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧中仙町を往く」カテゴリの最新記事