●歩いた日:2017年8月17日(木)
●歩いた所:稲荷、熊野、十文字、外館、前田(以上「畑屋」)、二ツ石、庚塚、稲荷(以上「六郷鎗田」)
●歩いたログ(足跡)(道のり:4.4km)
(以上の地図:国土地理院)
さらに南に進み、歩き始めてまもなく右手に向かったY字路の少し手前で振り返ってカメラを向ける。
📷007:「畑屋」への道2
ごくありふれた風景であるが、垣根、杉木立のせいばかりでなく、どことなく昔の雰囲気を漂わせている。道は写真奥のところで右にゆるくカーブしている。
この記事の最初の方でも書いたが、この道の右側手前が「庚塚」、カーブミラーの奥が「畑屋」の「稲荷」である。左側は「前田」である。
Y字路角すぐ近くから、共同墓地脇を通るあぜ道に入る。墓をざっと眺めると、ここは「高橋」さんが多い。
広い道に出て車に向かう途中、道端の車庫?をカメラに収める。
壁の上部に太陽光発電のパネルを取り付けている。シャッターの上のパネルは東向きに、左の窓の上、やや広いパネルは南向きに、そして向こう側、西向きにも設置している。なるほど、これで一日を通じて効率的に発電できると、感心する。でも、これ位の広さのパネルで、どれくらい発電量があり、どれくらい電気料の節約になるのだろうか。
「稲荷神社」参道入口に置いてある車はすぐそこである。
最後に、いつものように航空写真(国土地理院)をご覧いただきたい。
(S23年)
この写真を見ると、東向きの校舎とその裏側にグランドがはっきり写っている。古い写真をじっと見つめていると、当時にタイムスリップしたような気にさせられる。
学校の北側に「八幡神社」の木立、さらに北にくっきり十字路が写る。ここで交差する東西、南北の道が昔のメイン道路であったと推測される。西から「八幡神社」に至る道はかなり曲がりくねっており、これが改修されて現在の幹線道路になっている。
大きな屋敷林を持つ家が連なっている様子もはっきり写る。
次にS51年の写真もご覧いただく。
小学校はS47年に閉校、統合移転したと思われるが、S51年当時はまだ校舎が残っていたようである。
「八幡神社」すぐ北側に接する道はすでに整備されており、それに伴って、十字路南西側に昔からの道と滑らかにつなぐため、新しく道が付け加えられたことが判る。
これを書いていて見つけたことであるが、この整備された道の左端の方に注目していただきたい。S23年の写真では、西の方から真っすぐ入って来て、大きな屋敷のところできっかり45度右、そして左に曲がってまた真っすぐ東に延びている。
これがS51年には、緩やかにカーブする道に付け替えられている。昔の痕跡も見えている。緩やかなカーブは昔の道の特徴とも言えるが、直線で組み合わされた昔の道を、逆にカーブした道に改修することも、車社会に対応した時代の要請のようである。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:202.5km)
累計の道のりが200kmを超えましたが、まだほんの一部を歩いたに過ぎません。先は長いです。
8月の下旬に「旧中仙町」を歩いてきましたので、次回からその記事を掲載する予定です。
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