<「下中野」から「花館柳町」方面を望む>
●歩いた日:2020年12月11日(金)
●歩いた所
・高関上郷(四ツ屋):野際、二ツ屋
・花館:唐関、中台、萩台、葛野、富士見町、上佐渡、東裏地、下中野、上中野、下大戸、中大戸、上大戸
●歩いたログ(足跡)(道のり8.3km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷09の地点で)目を北に向ける。
📷09-2:「萩台」の一角2
「国道13号(大曲バイパス)」の跨線橋である。中段左手に立ち並ぶ電柱のところを「奥羽本線」が走る。
以前は、この辺りからは一面の田んぼが見渡せたであろうが、今はバイパスによって視界が遮られている。
引き続き北(写真右手)に進み、カギ型に折れて跨線橋の右端の下を抜け、さらに何度か折れて水路沿いの道に出る。
📷10:「萩台」の一角3
跨線橋の反対側に抜けて来たので、右手に鉄道が見える。左端の木立は「長福寺」。
ところで、立っている場所は「萩台」のほぼ真ん中。周りは一面の田んぼで民家は一軒もない。
ここでまた余談。「花館の歴史」によると、「萩台」はその昔、「萩台村」といって相当古い集落があって、ここから「鎌倉」から「南北朝」の時代の牡丹紋様の瓶子(ヘイシ、壺状の器)や古銭などが出土(瓶子は県の重要文化財)した、とある。ところが、「寛文元年」(1663年)以降、「花館駅場」を創設するに当たり、「萩台」(ほかに「殿屋敷」、「田の尻」など)にあった家々を引き移らせ(前述の「長福寺」の移建もその一環)、家数140軒余の伝馬屋敷を造ったという。そのために「萩台」は無人の地になったようだ。
それにしても、写真に見る牡丹紋様の瓶子はりっぱなもので、かなりの有力者がここに住んでいたことがうかがえる。
水路沿いの道を奥に向かうと「奥羽本線」のアンダーパスがある。その手前に「東裏地」の地名がある。「東裏地」は大半が新町名の「中町」になったはずだが、「上佐渡」同様、その一画がここに残っている。
アンダーパスを抜け、水路沿いをさらに進む。
📷11:「下中野」の一角
道奥が「奥羽本線」で、抜けて来たアンダーパスが見える。
ここから水路を離れ、「下中野」の集落に向かい、丁字路のすぐ手前で振り返る。
📷12-1:「下中野」の一角2
跨線橋の写真ばかり続いてしまった。道の奥が📷11の地点、跨線橋奥の木立は「長福寺」。
同じ場所から「国道13号」方向(西)にカメラを向ける。
📷12-2:「下中野」から「花館柳町」方面を望む
中央が「国道13号」との交差点。その奥、木立の向こう側に「花館」の街並が「旧羽州街道」沿い連なっている。
ところで、写る木立の下を、ログ地図にも記入されているように、細い道が通っており、また、右手の葉を落とした木立のあるところは、「花館」で現存する一番古い家の屋敷である。H18年3月の「花館を往く」で、この辺を歩いた記事を載せているので、興味のある方はご覧いただきたい。
(その5に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます