<今回のログ(足跡)>
●歩いた日:2021年6月7日(月)
●歩いた所
・上深井(飯詰):谷地中、矢矧殿、松葉野、耳取
・飯 詰(飯詰):碇、披
・境 田(飯詰):下八百刈
・金沢西根 :上菻沢、中菻沢、下菻沢、釜蓋、下糠塚
・藤木(旧大曲市):乙板杭
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
先のブログ、「旧六郷町六郷東根を往く-2」で、T9年に「明田地」で郷土訪問飛行を行った「佐藤 章」のことについて書きました。彼が「金沢西根村下菻沢(ガツギザワ)」(旧「仙南村」)生まれ(M27年)であることを知って「菻沢」を訪れてみたくなり、今日は足の調子が少し良いかな!、と感じられた6月上旬に出かけてみました。この日は少し時間はかかりましたが、久々に6kmを超える距離を歩くことができました。
それでは本文に入ります。
「菻沢」は「奥羽本線」の「飯詰駅」のすぐ南にある集落なので、「旧仙南村飯詰を往く-1」(H19.3.31から掲載)でも車を停めた「飯詰駅」の駐車場を目指して車を走らせる。歩くスピードが遅くなっているので早めに我が家を出、9時15分頃に駐車場に到着。この日もトレッキングポール2本を手にスタート。まずは駅の写真。
(「飯詰駅」)
平屋の小さな駅舎。以前のブログにも書いたが、「奥羽本線」を開設する時、「横手」・「大曲」間の経路をどうするかで、当時有力な町であった「六郷」と「角間川」で誘致合戦が行われたが、結局を「横手」と「大曲」を直線で結ぶ今の路線になったという。
鉄道開通時、「飯詰駅」辺りはごく普通の農村集落であったらしい。駅が設置されたことにより、今はだいぶ閑散としているが、小さな商店街が形成されている。
ところで、駅名は当時の「飯詰村」から来ているが、駅舎の所在は「谷地中」である。「谷地中」は「明治」の立村・合併以前は「上深井村」に属し、立村・合併以前の元々の「飯詰村」はもっと南に位置していた。ちなみに、「横手」寄りの「後三年駅」は元々の「飯詰村」の一角に当たるようだ。
駅前の広場を横切り、線路沿いの道を南に向かう。
📷01:「飯詰駅」近く、線路沿いの道
奥から来たところ。すぐ左手が線路で、奥に駅のホームを渡る跨線橋が見える。
道の右側には大きな倉庫が立ち並ぶ。「飯詰駅」は広大な水田地帯のど真ん中に位置するので、かつてはここから大量の米が積み出された証である。現在はトラック輸送が中心となっており、米倉庫の立地も道路事情を優先した場所に新たに建てられ、ここの倉庫はほとんど使われていないようだ。
さらに進んで「県道263号」に出、踏切に差しかかると、警報機が鳴り遮断機が下りる。少し待って電車が通過した後、踏切を渡る。
鉄道のは西側一面の田んぼである。その田んぼの中にあの鳥が二羽いる。一羽にカメラを向ける。
(「耳取」の田んぼ中の「アオサギ」)
頭を高く持ち上げ、足も大きく持ち上げなら立ち止まり、立ち止まりしてゆっくり歩いている。逞しく伸び始めた稲田の中に餌を探しているのであろう。歩く姿から、「抜き足差し足」とはこんな歩き方だな、と思わず頭に浮かぶ。前に踏み出した足を地面に触れたところでいったん止め、少ししてから土の中に踏み込むことを繰り返している。
(その2に続く)
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