ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町長信田を往く-3(その6、終)

2020年08月29日 | 旧太田町を往く

<歩いたところのH28年の航空写真>

●歩いた日:2020年7月17日(金)

●歩いた所

 ・小神成:田ノ尻、南田ノ尻、北田ノ尻、大面、桜木、北野、小田中、根笹

 ・太 田:築地古館

 ・東今泉:大信田

 ・斉 内:高野、栗木

●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)

(以上の地図:国土地理院)

 (「田沢疎水」の)水路脇の道を南進む。

📷017:「田沢疎水」と「田ノ尻」集落

 この時期、用水路は満々と水を湛えている。
 水路の奥、右手の白い建物は「田ノ尻生活改善会館」である。「田ノ尻」の写真が多くなってしまった。
 広い道を西に進み、お店屋さんの前を通り過ぎて車に戻る。
 最後にいつものように航空写真をご覧いただく。

(H28年)

 H28年の写真があるのでそれから。左下隅「P」が車を置いた場所。歩いた道を黄色線でたどってみた。
 左手、「田沢疎水」は、「田ノ尻」集落の中はトンネル状になっているので水路が見えない。そこに花壇が作られていた。
 右手中段が「築地古館」の「太田城跡」。縦長の白い屋根がトレーニングセンター。上から眺めるといかにも城跡のように見える。カギ型に通り抜けた南西側の集落は、案内板の絵にあった「本郷」にふさわしい姿だ。「本郷」から西に広がる田んぼの一番下手が「田ノ尻」ということか。
 城跡の東隣に「県道50号」と昔の道と思われる狭い道が並行して通っている。
 右上に「太田東小学校」。南側の校門前三叉路のすぐ近くに、ピンク色でたどった自転車・歩行者専用道路がつながっている。
 三叉路で県道から分かれ、旧道を思われる道を「田ノ尻」に向かった。

(S51年)

 田んぼはH28年より小さな区画であるが整備されており、道も現在とほとんど同じである。
 「田沢疎水」をご覧いただきたい。「田ノ尻」集落を通過するところも水路が見えている。上を覆ったのはS51年以降のようだ。
 右側の「窪関川」の川筋には木立がびっしり連なっている。この辺りはまだ改修以前のようだ。
 余談だが、「太田東小学校」グランドの東隣に、8の字や曲がりくねった紋様がある。自動車学校のコースのように見えるが・・・。
 城跡の矢印の先の木立とその西側の小さな赤い屋根の建物に、また、中央やや上の道跡に留意しながら、S23年の写真を見てみる。

(S23年)

 「田沢疎水」がすでに通っている。その水路からほど近い車を停めた位置は、今回歩いた道がまだ通っていないので、およその見当で書き入れた。
 城跡の南側に、北に開いたコの字型の、校舎のような建物が見える。ここにあったという「長信田小学校」だろうか。現在の「太田東小学校」の場所には、グランドのようなものがあるが大きな建物はない。
城跡矢印のすぐ上、コの字の真ん中辺に植え込みがある。位置からすると、S51年に写る木立のようだ。また、51年の、西側の小さな赤い屋根の建物は、この写真の建物の一部のように見える。
現「県道50号」は、「窪関川」より北は現在と同じ道筋にすでに整備されている。城跡脇を通っている細い道がさらに北に延びている。現県道が整備される前の古い道のようだ。
「太田東小学校」の場所を含めて、写真上部一帯には原野状の土地が広がっている。「田沢疎水」の東側に当たるこの地域は、ログ地図の右上隅にのぞく「第二田沢開拓」の用水路が完工して、はじめて田んぼが拓かれたところのようだ。
 太い赤矢印の道は現在無い道である。田んぼの区画整理、あるいは開田によって付け替えられたようだが、当時は主要な道路だったように見える。ただ、紫矢印の部分は、S51年、H28年の写真をよく見ると残っている。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:468.8km)

 次回からは「旧中仙町豊岡」を歩いた記事を掲載する予定です。


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