●歩いた日:2018年5月15日(火)
●歩いたところ
・清水:高田、石田、上大蔵、下黒土、中屋敷、新処、沖郷南田、館越
●歩いたログ(足跡)(道のり5.3km)
(以上の地図:国土地理院)
最後にまた古い航空写真(出典:国土地理院)をご覧いただく。S50年の写真から。
田んぼの区画整理がだいぶ進んでいるが、右上の「中屋敷」の東側はまだ未整備で不整形な区画になっている。これに応じて、右側を南北に広い走る広域農道も南側は開通しているものの、北の方はまだ通っていない(橙色の線のところ)。また、帰りに歩いた東西の農道(これも橙色の線)も未開通で、水色の丸印の南側にある道が📷008に写る古い道跡である。
田んぼをよく見ると(拡大しないとわかりづらいかもしれないが)、コンバインで稲刈りしたところ(コンバインが四隅で方向転換した跡が残る。現農道と書いた矢印辺り)と、そうでないところがあるようだ。そうでないところは、バインダーで刈った稲を乾燥させるために田んぼの中に立て並べたりしている(これも同じ矢印のそば)様子がうかがわれる。S50年頃はちょうどコンバインの普及時期に当たっている。
右上のピンクの丸のところが、📷005に写る道で三角に囲まれた畑地があるところ。老夫婦が話していたように、ここ南北に走る道路が写っており、その後の田んぼの整備に伴って北と南の部分が無くなったことがわかる。
家が密集する「上大蔵」から東に延びる県道は、新しい広域農道の東側が先に整備され、それにあわせてこの後に付け替えられた(橙色の線)こともわかる。
中央の黄色と水色で囲んだところに注目して、S23年の写真をご覧いただきたい。
スタート直後に歩いた現在の県道の周辺の田んぼはすでに規則正しい長方形に整備されている。田んぼ区画整理に伴って、早い時期にこの道もまっすぐに整備されたと推測される。
黄色の丸印のところで、北から来る道がまっすぐに現県道に突き当たっている。この道はS50年(現在も)には突き当たる直前に東にカーブし、「清水小学校」の西側から南に延びる道と十字路を形作っている。カギ型の交差点になるのを避けて付け替えたと思われる。
今回、県道から南に向かって小学校校庭の東縁を歩いた道は、S50年当時も(今も)水色の丸印の屋敷の東側を通っているが、S23年の写真ではその屋敷の西側を通っており、ここも付け替えられたことがわかる。
なお、大きくまっすぐな水路に見えた一級河川「北川」は、この写真では渓畔林を持ち大きく蛇行しており、見るからに川の様相を呈している。
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:319.8km)
今回分のログ(「鑓見内駅」の字の右側)を見ると、これまでの累計のログとつながっておりません。実は、この隙間の部分及び今回歩いたところの西側は2年前に歩いており、ブログにはすでに掲載していたと思っておりましたが、確認すると掲載しておりませんでした。近いうちにその部分を投稿したいと考えております。
なお、次回からは「旧大曲花館を往く-2」を載せる予定です。
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