●歩いた日:2017年9月22日(金)
●歩いた所
・太田(長信田):石神長信田、石神荒屋敷、長田佐渡、長田湯伝、金井伝山下、金井伝中里、三岳
●歩いたログ(足跡)(道のり:6.7km)
(以上の地図:国土地理院)
また「みずほロード」に戻りさらに北に向かう。道がやや下りになり、右手奥の山裾の沢を横切るように「自然歩道」が通っているのが見えるので、水路沿いの道をそちらに向かう。歩道のところで振り返ってカメラを向ける。
📷005:山裾から「三岳」方面を望む
田んぼの向こう側を左右に「みずほロード」が通っており、左のあぜ道を奥から歩いてきたところ。右手の田んぼは沢の出口に当たり、左手の田んぼより低くなっており、その奥の家や木立も両側と比べると一段低いことがわかる。
しばらく「自然歩道」を進むと、白い標柱が二つ立っている。
📷006:「自然歩道」脇に立つ標柱
左が「太田断層」の標柱である。説明を読むと、「1896年(明治29年)に奥羽山脈中部直下で起きた陸羽地震に伴って生じた断層のうち、斉内川と川口川に挟まれた3kmの部分をさす」とある。ちなみに、反対側に書かれている説明によると、「陸羽地震」はマグニチュード7.5、全壊家屋5,879戸、死者209人の激しい地震であったとのこと。
「大仙市」では今年の9月、「神宮寺」の直下を震源とする震度5強の地震に見舞われたが、過去には、この「陸羽地震」のほか「強首地震」が発生している。この9月の地震の時など直下型地震は揺れる直前にドーンという音がしたように思われる。震源地が近く緊急地震速報も間に合わないので、非常に怖い。
右の標柱には、「五郎左衛門館跡」と書かれている。こちらの説明には、「8haに及ぶ館跡が確認された。郭を多数保有し、生活用水としての水源があることから、勢力拠点として日常的に機能していたと考えられる。」とある。調べて見ると、標柱背後の204mの小ピーク(地図に記入されている)を通称「五郎左山」と云い、このピークの西側から南西側にかけて築かれた中世の山城のようである。この地に広大な館を構えることができたのは、この地一帯が早くから開田されて富を集中できたということであろうか。
写る道は「自然歩道」で、舗装されていて非常に歩きやすい。
歩道を離れて、大きな屋敷を迂回するようにカギ型に曲がる道を進んで、再び「みずほロード」に戻る。北に進むと右手は「金井伝山下」であるが、そこに公園のように広々した広場がある。その一角に多くの建物が立ち並んでいるのが、木々の間に見え隠れする。道脇に立つ看板をみると「奥羽養蜂園」とある。ここで製造される蜂蜜はさぞ美味しいだろうと思われてくる環境である。
養蜂園のところから引返して右折して西に向かう。この辺りは「金井伝中里」である。道脇の家屋敷や木立のたたずまいを眺めながら進み、やや展望が広がったところで振り返る
📷007:「金井伝中里」の道
道沿いに木々が茂り風情のある道である。中央の大きな杉の木の手前は銀杏と思われるが、見事な枝ぶりである。
(その4に続く)
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