ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧六郷町野中・六郷東根を往く(その8、終)

2019年10月18日 | 旧六郷町を往く

<歩いた所を「真昼岳」から眺めた写真>

●歩いた日:2019年8月21日(水)

●歩いた所  

  ・六郷:馬場

  ・野中:沢田、宮崎、上村、押切、上明子

  ・六郷東根:押切、北紀の国、東紀の国、南細田、下関田、筑後屋敷

●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)

(以上の地図:国土地理院)

 次にS51年の写真。

(S51年-2)

 中央から右上一帯の田んぼはすでに区画整理されており、整備中の黒っぽい田んぼも写る。右側中段から下段と田んぼは未整理で、くねくね曲がって走る水路や道に挟まれた狭隘な区画となっている。昔の面影が偲べて面白い。

 「押切・紀の国会館」の場所には赤い屋根の小さな建物が見える。そこから南に延び、集落(「東紀の国」)の南側を通る細い道が見える。

(S23年-2)

 「東紀の国」の南側通る道がはっきり写る。今の県道が整備される前はこの道がメインの道で、その北側に家々が建ち並び、小さな社は集落の北側の端に建てられたものと推測される。当時の社の木立は東西に延びて連なっている。

 「田沢疎水」の水路を水色で書き入れてみた。写真左下には広大な森林・原野が広がっている。大規模な用水路の貫通がこの一帯を見事な美田に変えた。

 「押切」の十字路の場所から北の「雀柳」方面に至る道がない。その道は区画整理と併せて整備されたようだ。

 パソコンの画面にS51年の写真(現在と大きく変わらない)とS23年の写真を並べて眺めると、場所の特定も容易で地域の変わりようがよくわかる。長く眺めていても飽きない。目は疲れるが・・・。

 さらに蛇足になるが・・・・。

 本文で、「上村神社」近くから「真昼岳」方面を眺めた写真を掲載したが、この9月下旬に数年ぶりで「真昼岳」に行き(ブログに掲載済み)、頂上からこの時歩いたところを眺めた。まず下から眺めた写真を再掲する。

 「雀柳」の見事な木立越しに「真昼岳」が望まれる。「真昼岳」からもこの木立が確認できるだろうと、頂上からの写真をアップしてみた。

 見える、見える。前掲写真の「雀柳」の集落がすぐ下に見える。「田沢疎水」、その水路と「県道12号」が交差するところにある小さな社や「上村神社」の木立、「野中の一本杉」も確認できる。

 遠くには、以前に歩いた「角間川」や「飯詰駅」付近の家並も確認できる。上端に横に延びる線は「秋田自動車道」のようだ。そのすぐ下の横線は「横手川」、さらにその下の線は、「角間川」で「横手川」と合流し「雄物川」に注ぐ「出川」と思われる。

 ところで、写真左寄りの下矢印が指す小さな木を見て、このブログに掲げた次の写真を思い起こす。

 特徴的な姿をしている二本の木(矢印)は、「真昼岳」から見えた矢印の木に違いない(と思う)。 こんな些細なことを見つけた、密かな喜びを感じながら記事を終わる。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:414.0km)

 途中に「姫神山」や「真昼岳」の記事が割り込んだため、1月以上かかってようやく終了になりました。次回からは、しばらくぶりで「旧中仙町豊川」を歩いた記事を掲載する予定です。場所は、「秋田県」で唯一の国宝になっている鏡を祀る「水神社」のある「観音堂」付近です。


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