伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

レンジでらくチン ゆで卵

2015年05月19日 | 日記

5月19日    (火)     /

卵は私の好きな食品の一つである。

毎朝食には目玉焼きやゆで卵を食べることが多い。日本人一人当たりの年間平均消費量は324個、メキシコに次いで世界第2位だというから私の消費量は日本人の平均をはるかに上回っていることは確かだ。

私が小中学校生だった戦前では、卵焼き・目玉焼き・茹で卵は大変な御馳走だった。戦争がはじまり食料難が取沙汰されるようになった頃には卵は家庭の食卓からは完全に姿を消していった。

その頃、私には今も忘れ難い思い出がある。

同級生だったO君から「おれの家は百姓だから、食べ物は沢山あるから遊びに来いや」と誘われて出掛けたことがあった。

藁葺屋根の百姓家をなんとなく想像しながら行くと、とんでもない立派な門構えの板塀で囲まれた広壮なお屋敷で、甘いものなどその頃すっかり姿を消していた時代だったのに腹いっぱい饅頭やら団子やらミカンなどをすっかり御馳走になって帰ってきた。

その折見かけたのが、縁先に置かれていた大きな籠に真っ白な卵が溢れんばかりに山もりにされていたのである。その光景は今も強烈な印象となって記憶に鮮やかに残っている。

以来、私にとっての「豊かさ」の具象的イメージは「籠に一杯盛られた卵」になってしまった。

生卵はその栄養価・美しい姿・味の良さ・料理法の簡単さなどから高貴な食品(野菜の大根やキャベツ、魚の鯖や鯵、肉の豚肉や鶏肉を「庶民」とみるなら、卵はその風格からして「貴族」)という思いはいまも消えない。

それにしては価格があまりにも安い。安過ぎる。1個30円くらいか。だが、かつては違った。卵は「物価の優等生」だといわれる。飢餓と貧困に苦しんだ戦後のインフレ期、それから高度成長期を経て現在に及ぶ飽食の時代まで、価格はほとんど変わっていないのである。

黒沢明の映画「野良犬」の一場面だったと記憶しているが、戦後の荒れ果てた街角の露店の張り紙に「卵一個10円」とあった。その頃の平均給与は1000円にも満たなかったろうから、卵は当時は大変な高価な食品だったことが分かる。

馬鹿な話だが、戦前・戦後を生きてきた私が相当に年配になってから家内に指摘され気付いたことは、おでんの具の中で卵を最後に食べるという習慣だった。これは卵を無意識に最上のもの、美味しいものと考え最後まで大事にとっておくといった思い込みがあったからだろう。

ところで、その卵で作る定番料理の「ゆで卵」だが、これを簡単に作ることができる素晴らしい器具をネットショップのアマゾンで見つけたのである。

ゆで卵をお湯を沸かして作るのは意外に難しい。好みに応じて湯加減で完熟・半熟を選択するのには相当に技術がいる。また、殻をむくのも難しい。殻がなかなかむけずにゆで卵のつるりとした白い肌が無様な恰好になったりすると悲しい。

そんな悩みを一挙に解決してくれたのが「レンジでらくチン ゆで卵器」というなんとも便利な器具である。

使い方は極めて簡単、器に所定量の水を入れて卵を並べて置き(一個または二個、どちらでも可)、電子レンジに入れて500Wなら10分にセットするだけ。これなら完熟が出来上がる。9分30秒なら固めの半熟、9分なら黄身がとろりとした半熟に、レンジだから好みに応じて正確にセットすれば、望みどおりのものが作れるという優れもの。もちろん、殻はつるりと簡単に剥ける。

しかも、なんと価格は驚くなかれ僅か782円、しかも送料無料と来た。

この器具を使えば、あの瑞々しいゆで卵の美しい肌にいつでも出会えるのである。失敗をすることはない。これを考え出した人は偉い。実に簡単な仕組みだが、技術大国日本の底辺を支える原点をみる思いだ。

すっかり気に入り、自家で愛用しているだけでなく、あちらこちらに紹介しまくっている。

 

コメント (5)
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