5月26/27/28日 (水・木・金)
94歳の義兄の訃報に接し、新幹線で博多まで急行する。二泊三日の旅行となったが全く疲れ果てた。やるべきこことなどほとんどないのにかかわらず……。
体力・知力・気力ともどもいつの間にか衰えてきているのを実感させられる旅となった。
これまで列車や駅頭で「お身体の不自由な方は……」とかいう放送を聞き流してきていたが、今回は「お身体の不自由な方……」だけでなく「頭が弱くなった方は……」というのを付け加えられても致し方ないような気分になってしまった。
とにかく、身体の動きだけでなく頭の動きについても失敗が多かった。所定の列車に乗り遅れたり、切符の取り出しを忘れたり、階段がきつかったり、歩行がのろかったりで、あれやこれやこれまで経験したことのない失敗の連続であった。
夫婦二人だからなんとか凌いできたものの、もう一人では長距離旅行は無理なようである。思えば80老夫婦の身動きであることからそれも致し方ないか。
福岡は我々にとってもっともなじみのある街なのに、そして数年前にも出掛けて行っているのに、なにかと変化しており、そうした変化への対応ももどかしく、すべてが不自由になってきている。
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正味二日の福岡滞在だったが、葬儀関係以外にやったことといえば、29年前に2年間住んだ箱崎の敷地だけは馬鹿広い(300坪?くらい)老朽官舎の跡がその後どうなったかを見たことだった。現在、その広い敷地跡には介護施設らしき建物とマンションが建っており、辺りも一変、昔をしのぶよすがもない。果たしてここが?と疑問に思ったほど。
ただ、近くの箱崎宮だけはほとんど昔のまま。巨大な鳥居、美しい緑したたらせる楠木が続く参道は一級品だ。
ここにきて、思わぬことに気が付いた。参道に旭日旗が並べられて立てられている。ちょっと奇異な感じを持って本殿近くまでいって、そうかと思った。
その日は5月28日、戦前に育った私の記憶に刻み込まれている「海軍記念日」であった。明治38年のこの日とその前日、ロシアのバルチック艦隊を日本連合艦隊が日本海で完膚なきまでに撃破したあの「日本海海戦の日」であった。
今の世を憚ってか、門前には「さつき祭り」と大書されており、その横に括弧書きで(日本海海戦記念大祭)と申し訳のように書かれていたのを見て、なにか気持ちに引っ掛かるものがあった。
神門に高々と元寇の際亀山上皇が納めたという「敵国降伏」の扁額が目立ったが、これは私が住んでいた頃もあったかしらん。記憶があいまい。
昭和は遠くなったというが、大正は、そして明治はあまりにも遠くに去り、視野から消えようとしているのを思い出させるこの情景はなにかジンと来る。