10月27日 (土)
「富戸コミュニティ・センター」で行われる定例の「吊るし雛教室」に家内たちを送り届けた帰り、富戸漁港を望む海岸沿いの道を通過した。
たまたま朝陽を受けて反射する輝く海面に影絵のように漁船が2そうが浮かび上がる幻想的な風景が目に留まった。
幸い、、車が停められる場所の近くだったし、カメラが手元にあったので、早速、撮影してみる。
また、そこから見る漁港入口の松の姿も風情があってなかなかいい。
10月27日 (土)
「富戸コミュニティ・センター」で行われる定例の「吊るし雛教室」に家内たちを送り届けた帰り、富戸漁港を望む海岸沿いの道を通過した。
たまたま朝陽を受けて反射する輝く海面に影絵のように漁船が2そうが浮かび上がる幻想的な風景が目に留まった。
幸い、、車が停められる場所の近くだったし、カメラが手元にあったので、早速、撮影してみる。
また、そこから見る漁港入口の松の姿も風情があってなかなかいい。
10月27日 (土)
自動的に「一年前に書いた記事の感想を」というメールが送られてくるので、そのブログを読み返してみたら、その頃いかに足腰が衰えていたかを思い出した。僅か30分足らずの坂道を歩くのに「途中で息を継いだ」「一休みした」「足腰が疲れた」という状況だったのだ!
現在は、1時間歩いてほとんど疲れ感じることはない。これすべて「変形性股関節症」を克服すべく「kik療法」「仙骨位置調整体操」の効果を信じて真面目に毎日続けてたお蔭である。
一日僅か7分という短時間の「治療法」なのに、半年、いや10月ほどやっただけで見事に治癒したのである。やっと治ったと自覚したときの感動を改めて思い出した。それなのに治ってみればそのことをすっかり忘れてしまっているとは。
あれほど悩み、切実な最大関心事だった「変形性股関節症」が今は念頭から全く消えてしまっているとはなんとも現金な話である。まさしく「喉元過ぎれば……」の喩のとおり。
だが、この年齢ではいつ「変形性股関節症」が再発しないとも限らない。現状に甘えることなく、これからも予防の意味からときどき「kik療法・仙骨位置調整体操」をやらずばなるまいと反省することしきり。
10月24日 (水)
一昨日歩いたところだが、今日も軽く散歩のつもりで一人で「池地区」を歩く。
この「池地区」の田園風景は地域で知る人ぞ知る素敵な散歩コースだが、今年になって「伊豆半島ジオパーク」が発足し、「池地区」のこの風景が「ジオサイト」となっていることを今回はじめた知った。
いつも車を止める「山神社」前の駐車場に最近作られたそんな掲示板が出ていたのである。
「ジオパーク」Geoparkとは地球活動の貴重な・美しい地質遺産を主な見所とする自然公園のこと。
より正確に言うと「地球科学的に見て重要な特徴を複数有するだけでなくその他の自然遺産や文化遺産を有し、それら様々の遺産が有機的に結びつけられた地域」 で、2004年に発足した「世界ジオパークネットワーク」が現在、世界各地にその認定を拡げており、日本では既に「洞爺湖有珠山」「糸魚川」「島原半島」「室戸」が認定されているという。
変化に富む海岸線、火山活動が生んだ特異な山容、深い海、豊かな温泉、山間に広がる緑の草原、どれ一つとっても様になる見事な景観、これほど多様な自然の遺産に恵まれている「伊豆半島」がこれまで「ジオパーク」でなかったのがむしろおかしい。現在では遅ればせながら世界認定を目指しての動きを始めているという。
その「伊豆半島ジオパーク」のメイン・テーマは「南から来た火山の贈り物」だとか。
そして、「ジオパーク」のなかで特に見所として価値が認められるところが「ジオサイト」というらしい。「池地区」もそのお仲間に加わえられたようで、車で10分足らずの近くにある「大室山」「一碧湖」「城ケ崎海岸」と並んで日本国中に知られることになったとは!。
いずれそのうちに「伊豆半島ジオパーク」の「ジオサイト」として日本のみならず世界にもしられることになりそうだ。
この掲示板のお蔭で池地区を囲む山々の名前、既知の「矢筈山」のほか「孔の山」(アナノ山)「台の山」(ダイノ山)を知ることができた。名前がわかると、これらの山々の有難味も増す感じがする。
これが「矢筈山」と「孔の山」か。
10月22日 (月)
明日は雨、しかも大荒れになるという。
ならば今のうちに「歩きだめ」しておきたい。
午前中、遠出は避けて最近はほとんど歩いていない近くの別荘地、一碧湖の東に広がる「イトーピア湖畔別荘地」を歩くことにする。(with Mr.TB)
たまたま、空気の入れ替えのためか、扉をあけはなしてあった教会があったので、内部を覗いてみた。
湖のほとりにひっそりと建つ清楚なキリスト教会の佇まいはお洒落な添景。よく似合う。
別荘地を歩くだけでは物足りず、一碧湖の「沼池」だけを一周して帰る。歩数は7838歩。
10月21日 (日)
散歩には最適の陽気となった。こんな日はどこでもいい。秋の太陽の光を浴びながら微風を肌に受け緑の自然の中を歩けば、すっきりした気分となって身体も脳も活性化すること間違いなしだ。
手近なところで田園風景が広がる「池地区」をMr.ARと一周する。
既に稲刈りも終わっており、黄金の穂波をみることはできなかった。
しかし、、陽に干された稲束の連なる姿は、機械乾燥が主力となって今はほとんど見掛けることのない伝統的な自然乾燥方式だけに我々世代にとっては昔懐かしい風景である。
真っ青な空に鳶が3羽、悠々と舞っていた。鳶は平和な農村の象徴、最近は時々見掛けるようになり嬉しい。
ススキとセイダカアワダチソウ。白と黄のコントラスト
「秋水」というが、この時期の川を流れる水は冷たく澄んでいる。歩数、8815歩
10月20日 (土)
大雨、大風、乾燥続きなど今年の天候は不順が原因だったのか、野菜・果実類は大豊作と全き不作がこもごもとなる。
トマトは1月近く立派な実が採れ続けたし、一本のピーマンからは百数十個採れた。しかし、ハヤトウリは全滅、柿も全滅、栗は申し訳程度。
薩摩芋は豊作の部類。
薩摩芋の堀りどきとなったので、「IKOI農園」恒例の収穫祭を行う。
御馳走のメインは、炉端で焼きたてのサンマ、焼き芋、瓢箪南瓜のスープ、干物寿司、そして飲み物はカボス割りの韓国焼酎「チャミスル」などなど。そしてデザート。食べ過ぎ。
今秋の収穫の良し悪しを論じるなかで、椎茸はさっぱり、まだ生えないと不服をいっていた後、原木を覗いてみたら、数日前には影もかたちもなかった椎茸が、一昨日以来の大雨でなんとなんと化け物椎茸となってニョキニョキ。これは大失敗。これでは始末に困る。
やはり自然は多少の時期のずれがあっても確実に実りをもたらすことを知らされた。
10月18日 (木) /
伊豆高原から熱海で新幹線に乗り換え東京に行くのが、これまで20数年間続けてきた私の上京コースである。これに要する普通運賃は、ちょうど1万円。ジパングを利用すればこれが3割引きになる。
しかし、今回の上京目的は元職場の0B会で、東京駅舎に隣接する東京ダイマル12階の「たん熊北店」に12:00集合とあるから、新幹線を使うとあまりにも早く東京駅に着いてしまい時間を持て余すことになりかねない。
そこで、急ぐ旅ではないのだから熱海からは在来線を使ってこれまでとは違った車窓の風景みながらゆっくり行くことをふと思いついた。
8:25伊豆高原始発の「リゾート21」で熱海に行き、それからは熱海始発東海道線のグリーン車2階席で相模湾を眼下に見ながら行くのも悪くない、と思ったのである。
これで行っても東京には11:08に着き、まだ時間には余裕がある。
駅でこのコースの往復切符を買ったら、なんと¥5040(ジパング使用でJR往復運賃¥3080、グリーン券660*2、シニア・パスポートを使って伊豆急往復¥640)。これには驚いた。こんなに安く東京に行けるとは!
この時間帯になると通勤通学客はほとんどいなくなるから「リゾート20」の展望車も熱海から始発のグリーン2階席もがらあき。私を除いて1、2人しか乗っていない。途中駅で少しは客が入ってはくるが……。
天気には恵まれなかつたが、まことに快適な旅となった。
車窓から 「リゾート21」展望車
東海道線2階席
東京駅では時間があるからと新装なった東京駅舎を見物する。今月から公開されたとかで、多くの見物人が「おのぼりさん」よろしく写真を撮っていたので私もこれに倣う。
20数年前、ここから役所まで丸の内、皇居前広場を通って15分ほど歩いて通勤したところだが、駅舎の新装だけでなく周辺の高層ビルの乱立に改めて時代の推移を感じる。
OB会はここ10数年、この時期に毎年開いてきた。今回の参加者は12名、相変わらず私を最年長としほとんど変わらぬ顔ぶれだが、いずれの顔ももさすがに老いだけは深まっている。
ビールの乾杯の後でお酒を注文したのは私だけだったのはちょっとショックだった。後はビールかウーロン茶とは!どうやらこの中で毎日晩酌を楽しんでいるのは私だけらしい。この年齢でお酒を美味しく頂ける己の健康には感謝。
それはそれとして、老いても中には凄い人もいる。囲碁の7段、来年には8段を目指しているという。素人では最高峰の段位である。
帰りの45:42東京発の電車も同じくガラガラ。酒の酔いでうとうとしていたら車中の時間を忘れる。熱海からの電車も「リゾート21」、いままで座ったことのない最後部の展望車に乗る。いずれも終着駅とまりだから乗り過ごすことはなく安心して眠れる。
終点伊豆高原駅に着いた時には後部展望車の乗客はなんと私一人だけであった。
この日、東京駅構内をうろうろ歩いただけなのに、総歩数は6000歩となる。電車の乗り降り、階段の上下など東京に行けば期せずして歩数を稼げる。
10月15日 (月)
福岡で行われた「三金会」最後の集まりに出席した際、Mr.NBが作成したという「三金会雑記百号記念 創刊号から百号まで」と印刷してあるCDを貰ってきた。
帰ってからこのCDをパソコンのトレイに入れてみて驚いた。
なんとこれまで刊行された「三金会雑記」の創刊号から100号まで、内容はもとより表紙から末尾の会員名簿に至るまですべてPDF文書化されているではないか。
各号とも100頁を超える冊子だから100冊分といえば千数百頁に及ぶ膨大な記事がこの薄っぺらなCD1枚に収められているとは!
これで、私の書斎の本棚1段をすべて占領していた「三金会雑記」綴りが不要となった。
場所をとらなくなっただけでなく、すべての記事がパソコンの中に取り込まれ、いつでも自由自在にみることができるようになった。
なんともMr.NBは凄いことをやってくれたものだ。如何に理系の元大学教授だとはいえ80歳を超えて自力でこれだけのCDを作ることができたとは、全く脱帽である。
早速、このCDの内容をパソコンにコピーして、いちいちCDの出し入れをせずとも簡単に見れるようにしたが、「検索」機能を使って 適当なキーワードとなる文字を入力すれば、その文字を含む頁が表示され、その文字の部分がハイライトされる。
例えば、自分の名前を入力すると、自分が書いた文章はもとよりその冊子中に自分の名前がどこかにあればそこに移行する。なんとも便利である。
帰ってから聞いてみたら、求めに応じてこのCDは10枚が会員に配られたという。30名だとすると1/3が一応パソコンを使える人だということになる。
しかし、なにしろ80歳を超える会員たちである。CDを貰いはしたが、PDFを果たしてつかいこなせるか、どうか。Mr.NBの製作努力が充分に報いられるかどうか心配になった。
これまで三金会旅行の際に写した写真をまとめたCDを時々貰っていたが、画像のCDをみるのとはちょっとわけが違う。
そこで、Skype仲間のMr.UT、Mrs.FN、Mrs.HRにPDFの扱い方をSkypeで伝授することにした。
ところで、PDFを使ったこのCDを貰い、膨大な文章の中から見たいと思う記事を選び出して読めるという便利さに魅了されて、よしこの機会にPDFファイルの扱い方を勉強しようと思い立った。
まず、やってみようと思ったのは、「三金会雑記」100冊の中で自分が書いた記事や関係する記事だけを選び出し、これを自分の個人用として一枚のCDに収めることだった。
PDFファイルの中の必要な頁だけを抜き取り、別のPDFファイルにする方法がフリーソフトで可能かどうか調べてみた。
すぐにSEPPDFというソフトが見付かった。このフリーソフトをインターネットでダウンロードしてパソコンにインストールしたら、扱い方は至極簡単。ファイルをドラッグアンドドロップし、必要とする頁数を入力すれば瞬時に新しいPDFファイルが別に作られる。
これでその頁を読むことは簡単になったが、このソフトでは各頁が別ファイルになっているので読むにはいちいちクリックしなければならない不便さがある。
そこで、このバラバラの頁になったファイルを更に一つのファイルの結合する作業ができるソフトを探してみた。
これも簡単に手に入った。PDFCというフリーソフトである。このソフトは結合したいPDFファイルをドラッグアンドドロップで簡単に一つのファイルにすることができる。
思ったより簡単に使い勝手のいいフリーソフトが手に入り、極めて満足だった。
ただ、なにしろ量が量だけに、自分好みの個人的な「三金会雑記」を作り上げるのには数日かかった。自分が新たに作成したPDFはエクセルで作った新しい文書の目次をPDF文書化するだけであったが……。
10月8日 (月)
そろそろ細野高原のススキが見ごろだと思いMr. & Mrs.TBと4人で出掛ける。
数年前までは車のすれ違いに苦労する狭い入り組んだ道だったのがいつしか広い道に改装されており、途中で東海バスとすれ違ったのには驚いた。この道にバスが通るとは予想だにしなかったことである。(後で分かったことだが、ススキ鑑賞のための送迎バスであった。)
さらに驚いたのは高原入り口あたりから沢山の車が道端にぎっしり並んでおり、その先には立派な駐車場まで整備されていたことだ。
どうやら、東伊豆町が細野高原のススキを大々的に宣伝しはじめたようである。
確かに細野高原のススキの景観は、箱根で有名な「仙石原のススキ」を遥かに凌駕する。これまで、あまり宣伝していなかったのが不思議なくらいだ。個人的にはあまり混雑するのは避けたいが、この素晴らしい景観は多くの人に見て貰うべきであろう。
一昨年に来たときには、ススキを見にくる車などは殆ど見掛けず、この絶景を独り占めにしては勿体ないと思ったことを思い出した。
特に今日は連休最後の日であるだけでなく、なんと「体育の日」であった。この混雑は当然と言えば当然である。
入口付近の人出は多いが、ススキの原に分け入る小道を歩く人はまだ少なく、静けさの中でまだ雄大な風景を楽しむことができる。
10月4日 (木)
澄明な空気の下、秋の陽に照らされると万物が美しく輝く。
今日は、相模の海に浮かぶ伊豆七島が鮮やかにもっとも美しく見える日となった。伊豆大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、そして目を凝らせば利島と三宅島が重なる間に微かに御蔵島までが見える。
この20数年、書斎から飽きもせず見続けてきている同じ構図の景色だが、こんな日は気持ちが軽やかでなにをやっても万事うまくいく。
宿題となっていた「IKOI農園」でトマト、茄子、胡瓜の撤去作業、これまで手間取っていたパソコンの不具合の解消作業、すべてが気持ちよく処置完了。
10月3日 (水) /
いつの頃からか、パソコンに特別の操作を加えていないのに「gooブログ1年前の記事」と題するメールが送られてきていた。
迷惑メールに類する不要なメールだと思いながらその都度削除してきていたが、今日、たまたまそのメールを開いてみた。
そのメールには丁度1年前に書いたブログの記事の冒頭の部分「椎茸の初採れの写真」が表示されており、「1年前に書いた記事の感想を書いてみませんか? また、ライフログとして1年後の自分に向けて素敵な思い出をブログにまとめましょう♪」と添え書きしてある。
そこをクリックしてみるとブログ記事を添えた新規投稿の編集画面に飛んだ。
福岡から帰ってきた直後に台風の襲来があり、烈しい風が吹き荒れたので「IKOI農園」の状況いかんと様子をみに出掛けた。台風の被害はさほどのものではなかったが、そろそろ椎茸が出る頃では思い、原木を覗いてみたが椎茸の苗はまだ目を覚ましていないようである。収獲は風にあふられ落果した栗がすこしばかり。
それが、1年前の10月2日の記事ではなんと立派な椎茸が、そして栗の実が写っているではないか。
今夏は晴天続きで、土地がすっかり乾燥しきっていたから、考えれば椎茸原木の今の状況は致し方ないのであろう。それにしても、夏の間に原木に水掛けをしとくべきだったと反省している。
それにしても、「gooブログ1年前の記事」というメールは、タイミングがよかった。
これからは、内容を見ないままに削除せずメールを開いてみることにしよう。
9月25~29日 福岡旅行 に恵まれる
久し振りの国内小旅行。
ホテル・オークラ福岡で最後の「三金会総会」に出席する。今から30年前に広島で「三金会」の核となった集まりを第1回総会とすれば、実に長い間続けられてきた会合だが、これをもって「三金会」そのものは終幕を迎える。
出席した会員は配偶者5名を加えて26名、ほぼ全員が80歳を超える。
会員Oが面白いことを言っていた。「この会は2000年会だ」と。80歳×26→まさに2000歳の集まりである。20歳前後にお互いに知り合い60年を経た今日まで続いた友情、皆それぞれ健康問題を抱えてはいるもののこうして一堂に会し得たことはまさしく慶賀に価する。
戦中・戦後の飢餓、混乱の中をくぐり抜け、学制改革に翻弄されながらもなんとか学校を出て、それからは各自歩んだ道は違っても戦後経済成長の第一線に立つてひた走ってきた過去を持つ我々が、皆して語り合う機会もこれが最後となる。
この「三金会」のまとめ役になっていたのが旬刊の「三金会雑記」。今年6月号を100号記念誌とし廃刊が予定されていた。しかし、続刊を希望する声が多くて今年9月には101号が刊行されている。
総会最後の議題となったのが、この「三金会雑記」を今後どうするかということ。
結局のところ、これからは年会費を徴収せず、会費残高でなんとか賄える106号まで続けるということになった。ならば、あと5号頑張って書かねばならない。
博多中洲の夜 、すべてが変わったが、なにやら懐かしい想い。
我々の出会いの場所だった九州大学教養学部(旧制福岡高等学校)のあった六本松を訪れた。学校の建物はなく、広大な更地が塀で囲われ、昔を偲ぶよすがもない。
しかし、学校横にあり「三金会」の場所的原点となった一杯飲み屋の「栄ちゃん」の店がいまなお残っているのに驚いた。店は閉じられているが……。これは奇蹟に近い。
翌日、15名がオプションとして「天瀬温泉」(山荘 天水)に1泊旅行。
早くも谷川では紅葉が色付き始めていた。
新装なった博多駅界隈。ここもすっかり変わってしまった。
屋上から。遠望する山並みだけは変わらない。
相変わらず、都会の真上を飛ぶ旅客機。箱崎宮参道から仰ぎ見る。これだけは60年前(そのときは朝鮮戦争に向かう米軍戦闘機)と変わらない。