伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

ススキの名所「細野高原」

2014年10月30日 | ウオーク

10月29日    (水)    

ススキの名所として知られる箱根仙石原の7倍の広さを持つという稲取「細野高原」の絶景をD-ikoiウオークとしては見逃すわけにはいかない。しかし、この時期メンバーの皆さんの都合が付かず結局2家族4人の実施となった。

天気は上々、陽光にきらめく海面を左手にのぞみ国号135号線をひたはしり、稲取を過ぎたところで山手に折れ細野高原に向かう。

ライオン岩

数年前は山に向かう道は狭く行き交う車もなくススキの最盛期でも人影が疎らで言葉通りの「知られざる絶景」地だったが、今はその道も駐車場もすっかり整備され稲取の重要な「観光スポット」になっている。

細野高原の入り口(イベント広場)近くから見る展望はいつもと変わらぬ見事さだったが、いつの間に河津側の山頂には風車が何基か建造されていた。聞けば現在工事中だとか。

イベント広場から三筋山山麓までまでシャトルタクシーが4台(片道10分/送料無料)出ており、これは便利だが、途中にバスストップがなく直通なので乗り降りできないため、ほとんどの客は三筋山麓から頂上に登って天城の山並みと眼下に広がる相模湾の展望を楽しんだだけで肝心のススキの野原を見ることなく元に帰るという仕組みになっている。

おまけに、今年のススキはいつもと違って丈も穂先も小振りであるだけでなく三筋山界隈でのススキの刈込がひどく、いつも見ていた全面に広がる雄大なススキが織りなす波模様をほとんどの訪問客は見ることなく帰っているようだ。(ススキの生育は自然の致すところで仕方ないが、広がるススキが見れないなんてもう少し情報伝達にに配慮があってしかるべき!)

我々は帰りのシャトルタクシーには乗らず三筋山頂上から徒歩で下り、ススキの繁る草原の間を縫う小道(道の傍に「リンドウ」の花をしばしば見かけたので「リンドウ・ロード」と名付けた)を通ってイベント広場まで帰る。

ゆっくり歩いたので1時間を超えたが、相当に脚が疲れ膝が笑う始末。

 

三筋山頂を基地にして飛ぶパラグライダー

たわわにつけたヤシャブシの実

 

 総歩数9000歩。やや不満が残った「細野高原ウオーク」となった。

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大室山麓「さくらの里」ちょい散歩

2014年10月26日 | ウオーク

10月26日   (土)    

大室自治会館でIKOIの皆さんが「フリーマーケット」の出店しているのでMr. & Mrs.TBと一緒に顔を出した後、近くのレストラン「あそび心」でご近所のMrs.KDが油絵を展示しているというので食事かたがた絵の展示会い行く。

食後、せっかく出掛けてきたきたのだからと大室山麓にある「さくらの里」公園をぶらぶら散歩してから帰る。

「さくらの里」には夏を除いていつも桜の花が咲いているが、いまは「十月桜」などがほそぼそと花を綻ばせている。最盛期の華麗な景色とは様変わりの晩秋の寂寞とした風景だが、そぞろに歩く園内はそれなりの秋の風情を漂わせていた。

近くだし、ちょっとした散歩には悪くない。

 

 

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「老年的超越」という言葉

2014年10月23日 | 健康雑感

10月23日   (木)    

陰鬱な秋雨の日が続く。こんな日は「徒然草」ではないが「つれずれなるままに日暮し硯」ならぬパソコンに向かって「移りゆくよしなしごとを書き綴る」心境になる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――     

2週間ほど前だったか、NHKの番組の中で最近の老人学Gerontologyで使われるようになったという「老年的超越」という言葉を初めて聞き知った。

「老年的超越」Geotranscendenceとは、85歳頃から90歳台にかけての所謂「超高齢者(スーパー・シニア)」がその身体的機能の低下に係らず、その置かれた現状を肯定的に捉える感情というか日々の生活への満足感が高くなる心理状態をいうものであるらしい。

この言葉に関心を持って調べてみところ、スウェーデンのトルンスタムTornstamという社会学者が近時急速に増加してきた百寿者の調査を通じて導き出した「老人学」上の理論とのことで、わが国でも近時これに基づく調査研究が進められ次第にその事実が実証されつつというものであるらしい。

これまでの老人学におけるエイジングのモデルは孤独、喪失、不健康、孤立、無視などといったマイナスイメージを伴うもので、サクセスフル・エイジングのモデルといえば「身体的機能の維持」「社会活動への参加」などを視点をおいて語られてきていたが、「老年的超越」はこれを見直す老人学理論で、80歳、90歳を境に高齢者がそれまでの価値観が質的に転換しこれまでとは違った「豊かな精神世界に生きる」ようになるというのである。

超高齢者に近づいた私としては「身につまされる」理論であり、無関心には聞き流せないので、インターネットでこれに関するサイト、PDF文書でのいくつかの研究論文まで拾い読みしてみた。

「物質的で合理的な世界観から、宇宙的で超越的な世界観へのメタ認識における移行」などえらく難しい表現に出会うと戸惑ってしまうが、いろいろ難しい理屈はべつにして実証的に得られた結論めいたものだけを私なりに勝手に理解してみれば、おおむね次のようなものと考えたい。

〇死が怖くなくなり、生と死に対する新たな認識が生じる。 
〇日々の生活における些細な経験に喜びを感じるようになる。 (「多幸感」)
〇自己中心的な考えから解き放たれ幅広い他利的な考え方や寛容な気持ちが増す。 
〇衰退する身体的健康、身体の在り方に必ずしも執着しなくなる。
〇それまでの社会的慣習にとらわれなくなり、自由な心を得る。 
〇現世的・世俗的なものから精神的・宗教的なスピリチャルなものへの関心が高まる。 

「老年的超越」とは、選ばれた特定の超高齢者に見られる特徴ではなくて、一部の例外はあるもののすべての高齢者が加齢に伴って発達していく特徴で、普遍的なものだという。

そういわれれば、85歳からという超高齢者といってもいい私も我が身に照らしてみて、これらのことにはかなり納得しうるところがある。

もともと私は生来楽天的な性格だったようで、なんでも肯定的に捉える所謂「オメデタ人間」のようだが、歳を重ねるに伴い特に最近では些細な事にも幸せを感じる心理状況に近付きつつあることを自覚しており、また、己の「死」も平静に受け止める心境が強まってきている。

いつも「多幸感」に包まれているとまでは言わないが、客観的機能側面での低下・衰退にも係らず主観的幸福感に低下がみられていないことは確かである。

(これは、ひょっとしたら昔からよく言われる年寄りの「呆けの心境=恍惚の境地」に通じるのかもしれないが、そう言ってしまえば身も蓋もないことになる。しかし、マイナス評価としてでなく、プラス面でみることの方が我々超高齢者を勇気づけることは間違いない。いずれにせよ、これから老いの道をひたすら進むことになる私にとって「老年的超越」という言葉の響きには悪い気はしないし、気分の上でも老いの足取りを支えるしっかりした杖になりそうである。)

――――――――――――――――――――――――――――――――――

そんなとき、たまたま毎年1回東京駅に隣接する大丸12階「たん熊」で行なってきている「所属組織のOB会」に10/16出席したときのことを思い出した。

この会合は20年も前から欠けることなく続けられてきているもので、今回の出席者は12名、近く85歳となる私を最年長としていずれも後期高齢者ばかりの会である。

そこでの話題となったのは、かつて身を置いた組織に係る話はなく、もっぱら最近の年金生活での自足した暮らし向きに関するものばかりであった。

それぞれの最近身に起こった「病気」の話も、深刻には語られず淡々たる話しぶりであったし……。

「老年的超越」を云々する80歳台はこの会ではまだ少数派だが、それでも以前のような現世的・世俗的な生々しい話題(棋院7段の免許を得たとか、大学の学長に就任したとか、100名山を踏破したとか、若い夫人を得たとか)は出なかったことは、皆がいずれ迎える「老年的超越」を前に徐々にではあるが現状を是とする穏やかで寛容な思考での立ち位置に移りつつあることを感じさせられた。

 

  

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竹林の中の宴

2014年10月19日 | 園芸

10月19日   (日)    

私以外のIKOIメンバーは「森ボラ」(竹林整備と竹材活用事業のボランティア)の有力会員として日頃から大活躍しているが、昨夜電話があり、IKOIメンバー全員だけで竹林の中で「たこ焼き」をメーンとした昼食会を催すことになったので、参加せよとのお言葉

後で分かったことだが、昼食会の前に「森ボラ」が主催する「県の炭焼き大会」で使われる琴の演奏舞台をIKOIメンバーだけで設置するという大作業を完了した後に内々で行う「昼食会」へのお招きで、我々夫婦もそのご相伴にあずかったのである。

緑みなぎる静寂な林間の中でのたこ焼きに枝豆、飲み物によるいわゆる「竹林の中の宴」とは、ちょっとよそでは経験できないなかなか乙なものであった。

食事の前にMr.ITの案内で見事に整備された竹林のかなり広い域内を案内してもらう。春の竹の子堀り以来の訪れである。

竹の茂みはそれだけでも眺めるに値する景色だが、見事に整備された竹藪は自然に放置されたものとは違う美しい景観を作り出す。聞けば、ここは静岡県景観賞にノミネートされてれているとか。

ここで見る早朝や夕暮れ時、月明かりの夜、そして春夏秋冬に移りゆく景観をカメラに収めて「伊豆竹林の10景」の写真アルバムを作ったらなどと、ふと夢想した。

 

 

竹林の周りに設けられた馬の散歩道を乗馬が通る。(近くにある宝島牧場から)

  

焚火の煙が竹間を漂い違った雰囲気を醸し出す。

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小人数での小室山ウオーク

2014年10月08日 | ウオーク

10月8日   (水)    /

定例のD-ikoiモーニング・ウオーク。今回は最小限の2家族4人だけの参加。

歩くより「お喋り」が多く、いつの間にか気が付いたら頂上に来てしまっていた。ファミレスでの朝食でも同じように「お喋り」が続き「長い尻(ながっちり)」客になる。

高齢者は一日に1度は人と会話しないと急速に前頭葉が衰え呆けが進行するという。

「歩くこと」もさることながら、こうして楽しく会話ができる環境にもあるということは、思えば超高齢者に近い我々夫婦ににとってかけがえのないD-ikoiの仕組みであることに感謝。

 

曇の予報に反して空が晴れる。富士山も遠望できるとは。

川奈ゴルフ場の向こうに朝日に輝く海面の中に釣り船が三艘。

頂上登り口には烈しかった台風の跡をとどめる枝や葉が散乱している。

頂上で。

ススキの穂も出揃う。

秋の日の野道に相応しい清楚な野草。ホタルブクロか?ちょっと違うようにも思えるが……。

小室山を巡る海側の道の両側には椿の樹が沢山植えられおり、道にはその実が沢山落ちていたようだが既に誰かに拾われて今は殻ばかり。

固い実が熟し切ると殻が三つに割れて中の黒い実 が現れるということを初めて知った。

ドングリも落ちている。
 

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台風18号通過後に……

2014年10月08日 | 園芸

10月7日   (火)    /

昨日の朝方伊豆半島を直撃した台風18号は烈しかった。夜明け頃から雨が吹き荒れはじめ、やがて横殴りの風雨が雨戸を激しく叩く。停電も二度ほどあり、これまでにあまり経験したことがない荒れ方で、日頃風をあまり気にしない私だが、ちょっと不安な気持ちにさせられた。

しかし、幸いなことに台風が吹き荒れた時間は大変短く、3時間もしたら雨風はぴたりととまって晴れ間さえ姿を見せ始めた。

そして、夕刻が近づく頃には秋空が一面に広がり、「台風一過」の言葉通り海の上には島が浮かび、綺麗な入日雲が南の天空を飾った。

一夜を明けた今朝、18号台風のもたらした被害を点検する。

我が家の庭では丈高い「皇帝ダリア」が倒れて全滅したほかさしたる被害はなかったが、IKOI農園に足を踏み入れたら、野菜類の打ちひしがれた惨状がまず目に飛び込み、ついで沢山の成りものが地面に転がっている。例年を上回る強烈な風が吹いたからだろうか、柿や柑橘類の落果が予想していた以上のものだった。

特にひどかったのが本柚子の実である。かなりの数が落果していた。だが、もう青柚子としては立派に使える時期なので、これを拾い集めて青唐辛子を加えて「柚子胡椒」を作ることにした。(この作業は明日実施予定)

そして、余った分は「欲しい人は自由に持ち帰って下さい」旨の張り紙をしてIKOI農園入り口に置くことにした。

次は柿。甘柿の落果したのは鳥が食べてしまったのか、使い物にはなるのはなかったが、渋柿は使えそうなものが沢山落下。それを拾い集めて干柿を作ることにした。

これまでも試しに干柿作りに挑戦したことがあったが、黴が生えたり、吊るし紐から落ちたりして全て失敗、干柿を口にしたことはない。

今度は柿の数も結構多かったので、インターネットで作り方を検索して、そのやり方を参考に柿を剥き紐に通して吊るすことにした。

私のイメージしたのは「秋の風物詩」ともいえるな軒下に見事に並んだオレンジ色の柿の整列図だったが、不器用な私の作は等間隔には並ばずバラバラで、とても絵になるようなものにはならない。

だが、黴防止に吊るす前に熱湯をくぐらせたこと、落下しないよう茎枝の部分をT字に切り取りとったことなど、これまでと違った工夫を加えており、うまくいけば今年は干柿を口にすることが出来るのではと期待している。

 

作る前に私がイメージしたのは以下の写真のようなものだったが……。来年は等間隔にこぎれいに吊るしてみたい。

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黄色の絨毯 金木犀終わる

2014年10月03日 | 園芸

10月3日   (金)    

窓を開ければ独特の芳香を室内に漂わせてくれていた庭の金木犀ももう終わり。今年は強風にも大雨にも見舞われることなく秋の香りを長く持ち堪えてくれた。

樹の下一面に木犀の小さな黄色の花をまき散らした様は黄色い絨毯を広げたよう。

日々、仲秋から晩秋にむかう時の流れを示す一情景。

 

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