7月4日(日)
これは、昭和37年に東拓㈱社長が「大室高原開発5周年を迎えて」と傍題して記した文章の一部を抜粋したものである。(雑誌「理想郷」1月号から)
さきに記録した「大室高原開発の歴史」を補うものとして、初期における輝かしい開発5年の実績とともに、むなしく終わった夢の開発計画とその挫折を我々に教えてくれる。
「大室高原開発の歴史」
開発してから5年を経過し立てられた計画のなかで実現されて現在の居住者の大きな利便を与えてくれているものも少なくなく、また今日の伊豆東海岸における主要な観光資源として利用されているものもあるのであるが、余りにも拡大一途に突き進んだ観光開発計画、なかでもモノレールの建設などは無謀というか、いまにして思えば荒唐無稽というほかない。
だが、高度経済成長が「昭和元禄」といわれた「浮かれ」に向けて驀進しようとしていたその頃の日本の時代状況を考えあわせるなら、その後計画され実施されすぐにポシャッてしまった東京―伊東間の定期ヘリコプター航路の開設と同じように「夢物語」と笑い捨ててしまうのは少し気の毒な気がしないでもない。
いずれにせよ、東拓がもうすこし別荘地開発の方に腰をいれ地道に事業を行ってくれていたら‥‥‥と思わぬではないが、これもまた「大室高原の歴史」の一頁をなすものであることには変わりはなく、記録にとどめておく価値はあろうか。
大室高原の開発事業
「(大室高原という名は)、ようやくこれが世に知られることになったのである。つまり、いまの伊豆シャボテン公園となっている岩室山を主体とした、山麓一帯の高原を呼称したものである。もちろん、この高原の中心は、海抜581mの大室山であるので、そこから伊豆東海岸に流れ込む丘陵の平原ともあわせ考えて、この名称を選んだわけである。
聞くところによれば、昔からこの地帯には、7つの室(むろ)をつけた名前の山々があって、大室山をはじめ小室、岩室など、この室(むろ)という字とこの地の結びつきは、因縁深いものがあるらしい。この意味で、最も大きく、最も美しい大室山の2字を冠した、この大室高原という地名は、どれよりも、いちばんこの地にふさわしい名称といえるかもしれない
‥‥‥
この地は、世間にも馴染みもなく、見捨てられたも同然の、美しい不毛の土地であった。地元の人々さえ、ここに足を踏み入れたものは、数えるほどしかいなかったというくらいである
‥‥‥
大室高原と命名して、開発の鋤を入れたときは、まだ水道もなく、電気もなく、人間が満足に住める場所ではなかったのだ。自動車道路など一本も通るどころか、歩いて行く道すらもなかった有様である。
‥‥‥
はじめて岩室の山頂にわけいり、大島の見える、いまの旧展望台のあたりに来たとき、私は暫くの間、呆然と立ち尽くした自分自身の姿を、いまでも忘れることができない。早春の、まだ肌寒い、風の強く吹く日であった。見渡す限り、広漠とした太平洋を前に、眼下にひらけた枯草の一帯は、野火のように風に揺らいで、禿げたような畑に沿いながら、長い電柱の線が一本、延々と東から南へ、連らなり流れているのが印象的であった。わずかにそこだけが生活の声をひそめて、あとは人影もない、草と岩と林の群れの起伏だけで、それがそのまま、遠く天城の連山の、海に迫る岬まで続いているのが見えるだけであった。
‥‥‥
水一滴もなかったこの地、電気一つなかったこの里に、はじめて文明の夜明けを告げたのは、昭和33年8月、電気水道工事落成の日からであった。」
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「大室山」手前の小高い丘がシャボテン公園建設中の「岩室山」
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開発実績と広げられた観光構想
「果たせなかった仕事や計画が、この5年までの間には、かなり残されている‥‥‥その主なものを拾ってみただけでも、なかなか容易ではない大仕事ばかりである。まず第一に、ヘルスホテルの建築と開業、温泉の本格的な引湯給配、理想郷別荘地の3000戸の拡大計画にともなう上水道の認可増設、あるいは道路の舗装延長と整備拡張などがあり、またシャボテン公園には、新しいマンモス・ピラミッド型温室と、もう一棟を加えた5棟の大センターに改修して、東洋一から世界一のものに仕上げなければならないし、回転ホールの新築の外、ヘルスホテルに併設するベルギー中世のガスペック城の一部をかたどった展望台式の城門も、まだ今日まで果たせなかった宿題の一つである。スカイラインと下田街道の接触点に進行中のドライブインも、この3、4月頃には完成の見込みであるが、開発に着手した富戸の蓮着寺、城ヶ崎の海岸公園は、この夏までには少なくとも、観光客の足をとどめるにたるだけの、施設の一つくらいは持ちたいものだと思う。
しかし、なんといっても、本年の新しい計画、この5周年にふさわしい記念事業とでもいえるものは、モノレールの開設であろう。しかも、これは世界最長という画期的な設計のもとに、伊豆シャボテン公園から富戸駅を経て、城ヶ崎海岸、八幡野に至る延長10数キロに及ぶ、一大架線であって、今春建築免許がおり次第、着工される予定になっている。
‥‥‥なお、この外に、もう一つ本年の新しい期待といえば、乗馬クラブに隣接して、子供を中心にした大人も遊べるメリーランドの創設が考えられている」
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これは、昭和37年に東拓㈱社長が「大室高原開発5周年を迎えて」と傍題して記した文章の一部を抜粋したものである。(雑誌「理想郷」1月号から)
さきに記録した「大室高原開発の歴史」を補うものとして、初期における輝かしい開発5年の実績とともに、むなしく終わった夢の開発計画とその挫折を我々に教えてくれる。
「大室高原開発の歴史」
開発してから5年を経過し立てられた計画のなかで実現されて現在の居住者の大きな利便を与えてくれているものも少なくなく、また今日の伊豆東海岸における主要な観光資源として利用されているものもあるのであるが、余りにも拡大一途に突き進んだ観光開発計画、なかでもモノレールの建設などは無謀というか、いまにして思えば荒唐無稽というほかない。
だが、高度経済成長が「昭和元禄」といわれた「浮かれ」に向けて驀進しようとしていたその頃の日本の時代状況を考えあわせるなら、その後計画され実施されすぐにポシャッてしまった東京―伊東間の定期ヘリコプター航路の開設と同じように「夢物語」と笑い捨ててしまうのは少し気の毒な気がしないでもない。
いずれにせよ、東拓がもうすこし別荘地開発の方に腰をいれ地道に事業を行ってくれていたら‥‥‥と思わぬではないが、これもまた「大室高原の歴史」の一頁をなすものであることには変わりはなく、記録にとどめておく価値はあろうか。
大室高原の開発事業
「(大室高原という名は)、ようやくこれが世に知られることになったのである。つまり、いまの伊豆シャボテン公園となっている岩室山を主体とした、山麓一帯の高原を呼称したものである。もちろん、この高原の中心は、海抜581mの大室山であるので、そこから伊豆東海岸に流れ込む丘陵の平原ともあわせ考えて、この名称を選んだわけである。
聞くところによれば、昔からこの地帯には、7つの室(むろ)をつけた名前の山々があって、大室山をはじめ小室、岩室など、この室(むろ)という字とこの地の結びつきは、因縁深いものがあるらしい。この意味で、最も大きく、最も美しい大室山の2字を冠した、この大室高原という地名は、どれよりも、いちばんこの地にふさわしい名称といえるかもしれない
‥‥‥
この地は、世間にも馴染みもなく、見捨てられたも同然の、美しい不毛の土地であった。地元の人々さえ、ここに足を踏み入れたものは、数えるほどしかいなかったというくらいである
‥‥‥
大室高原と命名して、開発の鋤を入れたときは、まだ水道もなく、電気もなく、人間が満足に住める場所ではなかったのだ。自動車道路など一本も通るどころか、歩いて行く道すらもなかった有様である。
‥‥‥
はじめて岩室の山頂にわけいり、大島の見える、いまの旧展望台のあたりに来たとき、私は暫くの間、呆然と立ち尽くした自分自身の姿を、いまでも忘れることができない。早春の、まだ肌寒い、風の強く吹く日であった。見渡す限り、広漠とした太平洋を前に、眼下にひらけた枯草の一帯は、野火のように風に揺らいで、禿げたような畑に沿いながら、長い電柱の線が一本、延々と東から南へ、連らなり流れているのが印象的であった。わずかにそこだけが生活の声をひそめて、あとは人影もない、草と岩と林の群れの起伏だけで、それがそのまま、遠く天城の連山の、海に迫る岬まで続いているのが見えるだけであった。
‥‥‥
水一滴もなかったこの地、電気一つなかったこの里に、はじめて文明の夜明けを告げたのは、昭和33年8月、電気水道工事落成の日からであった。」
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「大室山」手前の小高い丘がシャボテン公園建設中の「岩室山」
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開発実績と広げられた観光構想
「果たせなかった仕事や計画が、この5年までの間には、かなり残されている‥‥‥その主なものを拾ってみただけでも、なかなか容易ではない大仕事ばかりである。まず第一に、ヘルスホテルの建築と開業、温泉の本格的な引湯給配、理想郷別荘地の3000戸の拡大計画にともなう上水道の認可増設、あるいは道路の舗装延長と整備拡張などがあり、またシャボテン公園には、新しいマンモス・ピラミッド型温室と、もう一棟を加えた5棟の大センターに改修して、東洋一から世界一のものに仕上げなければならないし、回転ホールの新築の外、ヘルスホテルに併設するベルギー中世のガスペック城の一部をかたどった展望台式の城門も、まだ今日まで果たせなかった宿題の一つである。スカイラインと下田街道の接触点に進行中のドライブインも、この3、4月頃には完成の見込みであるが、開発に着手した富戸の蓮着寺、城ヶ崎の海岸公園は、この夏までには少なくとも、観光客の足をとどめるにたるだけの、施設の一つくらいは持ちたいものだと思う。
しかし、なんといっても、本年の新しい計画、この5周年にふさわしい記念事業とでもいえるものは、モノレールの開設であろう。しかも、これは世界最長という画期的な設計のもとに、伊豆シャボテン公園から富戸駅を経て、城ヶ崎海岸、八幡野に至る延長10数キロに及ぶ、一大架線であって、今春建築免許がおり次第、着工される予定になっている。
‥‥‥なお、この外に、もう一つ本年の新しい期待といえば、乗馬クラブに隣接して、子供を中心にした大人も遊べるメリーランドの創設が考えられている」
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